ほぉ・・・
1999年、駒大からドラフト6位で入団した新井貴浩は、2月の春季キャンプをわずか10日でリタイアした。オープン戦は打率1割台でも開幕1軍入り。期待値ばかりが先行する「大砲候補」の新人に、突然の初スタメンが巡ってきた。
6月6日、浜松球場の中日戦。「7番・一塁」は、前日に膝を痛めた4番打者、江藤智の代役だった。中日の先発マウンドには、前年の98年に最優秀防御率(2・34)に輝いたエース左腕、野口茂樹がいた。
浜松市は、新井のプロ入りに奔走してくれた駒大の監督、太田誠の出身地。「お世話になった恩師の地元で初スタメン。結果を残していい報告をしたい。野口さんから打てる気がしなかったけれど、とにかく必死にやるしかない」
当時のヘッドコーチ、大下剛史も駒大OB。「鬼軍曹」と呼ばれた大先輩は、新井にひときわ厳しかった。「3球振ってこい。ストライクを見逃したら許さんで。どうせ打てんじゃろうが、打たんかったら明日から2軍じゃ」。そんな言葉でグラウンドへ送り出されたと記憶する。
試合は序盤から取っては取られる乱打戦。四回無死一、三塁の好機だった。「初球のスライダーに手が出なかった。見逃しストライク。地方球場はベンチからの距離が近いから、大下さんの怒鳴り声が聞こえる。2球目はワンバウンドを空振りした」。すでに頭が真っ白だった。
1軍にしがみつく。何が何でも食らい付く。その一心だった。「ど真ん中にきたスライダー」を振り抜くと、左中間席へアーチを描いた。「入ってくれ」と祈りながら駆け出し、ダイヤモンドを一周した。
興奮状態で戻った三塁ベンチ。待っていたのは「何をゆっくり走っとんじゃ」の怒鳴り声だった。大下が笑顔で祝福した無我夢中の一振りから、プロ野球歴代39位タイの通算319本塁打を積み上げ始めた。=敬称略(山本修)
情報源:【新井の伝言】<2>がむしゃらに 初スタメン、無心の一発 | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ
ふむ・・・