広瀬ルート(1年解説してコーチ就任)にならんかな・・・
プロ20年目の節目を迎えた背番号25が惜しまれながらもバットを置くことを決断した。誰よりもカープを愛し、ファンに愛された男は最後まで信条である全力プレーを見せた。
* * * * * *
プロ20年目、41歳。プロ野球人生最後の大きな決断だった。9月5日、新井貴浩が今季限りでの引退を発表した。8月初旬に球団に意思を伝え、慰留されたが考えは変わらなかった。15年に広島に復帰し、16年には僚友・黒田博樹と共にチームを牽引して101打点をマーク。25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、リーグMVPにも輝いた。連覇を果たした翌17年からは出場機会を減らした。
「これが、というのはない。複合的に。自分も今年よろこばせてあげることができていないというのもあるし、その中で若手が育ってきているのもあるし、いろんなことを考えて……」
決断の理由は、自らが置かれた状況、そして若手の成長を潔く受け入れたことだった。
リーグ3連覇を目指した今季は、開幕前に左ふくらはぎ痛のため出遅れて開幕二軍スタート。一軍合流は5月11日だった。「ちょうど丸が離脱した時期に新井さんが早めに一軍に帰ってきてくれたので、安心感もありました」
新井を慕う菊池涼介は背番号25の復帰をそう表現し、多くの後輩たちも復帰を待ち望んでいた。そしてベンチの雰囲気も変わった。
一軍復帰後、スタメン機会こそ減ったものの、持ち前の勝負強さを発揮し続けた。4度目のスタメンとなった5月23日の巨人戦(ひたちなか)では吉川光から今季1号を放つなど、2安打5打点と大暴れ。大卒選手の20年連続本塁打は金本知憲、稲葉篤紀に次いで3人目という記録だった。
しかし7月はわずか1安打と結果が出ず夏場以降は苦しみ、引退を考え始めたのもこの時期だった。だがベンチを温める日々が増えたとしても、その存在はチームに必要不可欠なものだった。ベンチでは大声で後輩たちを鼓舞し、チームに得点が入れば誰よりも喜びを大きく表現した。練習では後輩選手にトスを上げることもあった。さらに今季大きく成長を見せた野間峻祥をはじめ、後輩いじりでチームのムードを盛り上げるなど、精神的支柱としても多くの勝利に貢献した。
夏場は代打での出場がメインとなっていたが、スタメンで出場すれば41歳とは思えないほどのハッスルプレーを見せた。7月24日以来のスタメンとなった、8月29日の巨人戦(東京ドーム)では大いに存在感を見せた1戦だった。
「初回に自分の守備のミスから失点してしまったので、何とかこの試合の中で取り返したいと思っていました」
初回に自らの2失策が引き金となり失点につながってしまった。しかし、そのミスを自ら帳消しとする3ランを含む今季初の猛打賞の活躍ぶり。41歳6カ月での1試合3安打は球団史上最年長だった。『新井さんはまだまだやれる』。選手もファンも皆そう感じた矢先の引退発表だったに違いない。
「最後まで全力疾走で駆け抜けたいなと思います。そういうものを見て、何を感じてくれるかは分かりません。ただ自分でできることは、最後の最後まで全力プレーをすること」
球団は引退試合と位置付ける試合を行わない意向。引退発表後、マツダスタジアムをはじめビジターでも背番号25のユニホームを着た多くのファンが球場へ足を運び、新井へ惜別の声援を送った。
(広島アスリートマガジン2018年リーグ優勝記念特別増刊号から一部抜粋・続きは本誌にて掲載)
▼ 新井貴浩(あらいたかひろ)
1977年1月30日生、広島県出身/41歳・プロ20年目/広島工-駒沢大-広島(98年ドラフト6位)-阪神(08~14年)-広島(15年~)/189cm・102kg* * * * * *
広島アスリートマガジン月刊誌・特別増刊号は広島県内の主要書店および主要ネットショップでご購入できます。ぜひご覧ください。
情報源:広島 最後の最後まで全力プレーを貫いた新井貴浩(広島アスリートマガジン) – Yahoo!ニュース
寂しくなるな・・・