ふむ・・・
今年度も8割以上の勝率を記録し、10月には新人王戦で優勝。快進撃を続ける藤井聡太七段が叡王戦本戦で斎藤慎太郎新王座に挑む。
25歳の斎藤は10月末に王座を奪取。自身初のタイトル獲得を果たし、乗りに乗っている若手棋士だ。7月の王座戦挑戦者決定トーナメントでも藤井七段を破っている。
昨年、その斎藤王座が『天才 藤井聡太』(文春文庫)の若手棋士連続インタビューで、29連勝と鮮烈デビューした藤井七段について、永瀬拓矢七段、三枚堂達也六段とともに証言していた。「小学2年だった少年」に初めて会ったときの斎藤王座の記憶とはどんなものだったのだろうか。
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8歳の藤井少年との出会い
2017年に突如として旋風を巻き起こした天才中学生。
しかし幼い頃から隠しようのないほどの才能を持っていたため、将棋界ではもともと知られた存在ではあった。20代の若手棋士たちはいつ頃から藤井の存在を意識するようになったのだろうか。
斎藤慎太郎は小学生の藤井を目の当たりにしている。斎藤にも藤井にも共通するキーワード、それは「詰将棋」だ。
斎藤は「好きを通り越して愛している」と公言するほどの詰将棋愛好家である。
2011年、奨励会三段だった斎藤は詰将棋の全国大会である「詰将棋解答選手権」で見事優勝を果たしている。
第1ラウンド、第2ラウンド合わせて3時間の内に、難解な詰将棋を10問出題され、その合計得点と速さを競う。
斎藤が優勝したこの年、8歳で小学3年に上がる直前の藤井少年も参加していた。背恰好も小さな少年がいきなり高得点を挙げて、すぐに関係者の間で話題となった。斎藤が振り返る。
「見た目と能力が違いすぎる『驚きの少年』という印象は当時も今も変わりません。ただ彼は小学2年だったので『この先どうなるか分からない』とも思いました。あとで大会の写真を見るとすごい集中力で食い入るように詰将棋の図面を見つめているので『伸びるタイプの子どもなんだろうな』とは思いました」
「間違いなく世界一のスピードでしょう」
斎藤はその翌2012年も解答選手権で優勝し、見事に連覇を果たした。
一方の藤井は小学6年で出場した2015年の解答選手権で小学生として史上初の優勝。その後、2017年大会まで早くも三連覇を達成した(2018年も優勝し、四連覇を達成)。斎藤は藤井の解答能力に舌を巻く。
「最近では、誰が追いつけるのだろうというレベルにまで行ってしまいました。今は多分、僕の3倍ぐらいのスピードで解いています。僕が2問目を解き終わったときに、彼は6問目を解いている、そんな速さです。僕も優勝した経験はあるので、彼の実力は桁違いと思っていただいて良いと思います。間違いなく日本一、世界一のスピードでしょう。しばらくは抜ける人がいるのかな、というレベルです」
そんな藤井の詰将棋における「世界一のスピード」と指し将棋の実力の相関関係は、すでに様々なメディアで指摘されている。特に終盤の「詰むや詰まざるや」の場面で詰将棋の能力がいかされていると言われる。
ただし斎藤は「単純にそれだけではない」とみている。
「詰将棋は終盤の力と関連させて言われがちです。ただ、彼の場合は、序盤、中盤の大事なところを読むスピードと正確性こそ、詰将棋の力から来ている印象を受けます。これまでの対局で彼は持ち時間をうまく分配できている。それは自分でも気づかないうちに身につけた、読むスピードの速さがあるから。詰将棋の難問を解いてきて、気づかないうちに持て余しているくらいの能力の高さが身に付いたんじゃないかなと思います」
9歳らしからぬ手を指す子ども
藤井が詰将棋解答選手権に初めて出た2011年、永瀬拓矢も少年の存在を初めて知ることになる。藤井は小学3年、日曜日に行われる東海研修会で将棋の腕を磨いていた。永瀬と親交の深い鈴木大介九段が名古屋に指導に行ったのだという。
「鈴木先生が東海研修会で指導されて、小さい子どもと指したというんです。その子が正座すると小っちゃくて、盤を前にすると、顔がちょっと出てきて指すのでとてもかわいいと言っていました。手合い(ハンデ)は飛車落ちだったそうですが、9歳とは思えないような手を指されて鈴木先生が負かされて、『あの子は絶対に強くなる』とおっしゃっていましたね」
その少年こそ藤井であった。そしてここでもやはり、詰将棋に関するエピソードが出てくる。永瀬が続ける。
「鈴木先生はその子に詰将棋を出題されたそうです。それで鈴木先生もお返しに詰将棋の問題を出したら、その子にうまいと褒めてもらったそうです(笑)。『子どもらしからぬ』と言われていましたね」
初めて会ったとき「中学1年と思えなかった」
その後、藤井少年は小学4年の初夏に杉本昌隆七段の門下に入り、9月には関西の奨励会に入会する。
奨励会二段だった三枚堂達也はその頃「異常に強い小学生がいる」とその名を聞く。とはいえ、奨励会は東西で分かれており、三枚堂は関東、藤井は関西に所属していたため、顔も知らず、当初は「ふーん」という程度だった。しかしその小学生の昇級、昇段ペースはこれまでのどの棋士よりも速かったため、三枚堂も興味を持ち始める。
「小学6年で初段とか二段という話が出て、けっこう意識するようにはなりました。これはすごいなと」
その後、史上最年少で三段になった中学1年の藤井には「史上5人目の中学生棋士」という期待がかかる。しかし三段昇段のタイミングがわずかに遅れ、三段リーグへの参加を中学2年の4月まで約半年待たされることになった。
その頃、プロ棋士になって2年近く経っていた三枚堂は群馬の高崎にある三浦弘行九段の自宅で行われた合宿で藤井と初めて会った。藤井の師匠、杉本が三浦と仲が良く、名古屋から藤井を伴って研究会に参加していたのだ。三枚堂が振り返る。
「そこで将棋を指して、話をしたんです。中学1年とは思えなかった。ほんとに今みたいな感じで、落ち着いているんですね。精神年齢が高いというか、大人っぽい(笑)。いい意味でそうでした。やんちゃな部分が見えなかった。でも将棋をやっているときはすごく楽しそうにするので、そういった部分も結構印象に残っています」
「谷川浩司先生みたい」
三枚堂は当時の藤井と将棋を指してみて「まだまだ序盤が確立されていない。伸びしろは大きい」と感じた。一方で中盤、終盤になると力を出す中学生に「才能を感じた」という。
「最終盤の詰みを読むのはもちろん早い。藤井君は別格なんですけど、でも、そこはプロはみんな早いんですね」
三枚堂が目を惹かれたのはその一歩手前、終盤の寄せに向かうアプローチだ。
「詰みに向かう一歩手前のところ、そこを読み切るスピードがちょっと違うなと思いました。それこそ谷川浩司先生のような感じでしょうか」
その後、藤井が三段リーグに参加する前に三枚堂はもう一度藤井と指す機会があった。半年経たないうちの再戦だったが、今度は三枚堂が負かされたのだという。
「序盤をかなり研究したと思うんです。やっぱりちょっと強くなっていると感じました」
この時代に最年少棋士が出るのは信じがたい
佐々木勇気七段と幼いころから切磋琢磨してきた三枚堂は同世代、さらには羽生ら上の世代を見て戦ってきたはずである。そこへ突然下から、藤井のような存在が現れることについてはどう思っているのだろうか。
「ただ、自分は結構追い抜かされていますからね。後から来た人たちにけっこう抜かれているので。それでもこの時代に中学生で、かつ最年少の棋士が出るというのは信じがたいです」
加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明と中学生棋士は過去に4人。加藤、谷川、羽生がプロになったときは、現在の三段リーグと四段昇段の仕組みが違っており、規定の成績(例会のなかで一定の勝ち星)を挙げれば良いという時代だった。
今から30年前の1987年、現行の三段リーグが設立され、条件がさらに厳しくなり、基本的には年間4人しかプロになれなくなった。実は三枚堂はプロになる際、その厳しい三段リーグを一期で抜けるという、当時として14年半ぶりの快挙を達成している。
「でもその記録も見事に藤井君に並ばれました(藤井が2016年に1期抜け)。藤井君が抜けたときは『奨励会員、誰か止めてくれ。誰か止めて欲しい』と思った記憶があります(笑)。でも公式戦で29連勝する人だったら、それは1期で抜けますよね」
(『天才 藤井聡太』[文春文庫]より)
情報源:「藤井聡太くんの詰将棋は世界一」斎藤慎太郎新王座が認めた実力(文春オンライン) – Yahoo!ニュース
情報源:「藤井聡太くんの詰将棋は世界一」斎藤慎太郎新王座が認めた実力 | 文春オンライン
ほぉ・・・