ほぉ・・・
今月1日、テレビ棋戦で公式戦通算1300勝を達成した。将棋界では、歴代最多の1433勝の記録を持つ大山康晴十五世名人や羽生善治竜王(48)らに次ぐ5人目の達成だ。
大山十五世名人の記録を目標にしてきた。「40代に入って思うように勝てなくなり、及ばないのではと思っていた。これを機に改めて記録にどれだけ近づけるかを目標にしたい」
7つのタイトルを獲得した経験を持つ。そんな棋士は、将棋界ではほかに中原誠十六世名人(71)と羽生竜王しかいない。年度対局数86局は歴代3位タイ記録。対局数が多いということは、勝ち進んだことであり、強さの証明である。数ある記録の中でも、現在も破られていないのが昭和58年、21歳2カ月で成し遂げた史上最年少名人だ。
将棋界で最も古い歴史を持つ「名人」に挑戦するには、最低でも5年かかる。A級からC級2組まで5クラスある順位戦を勝ち抜いて、1つずつ上のクラスに上がらねばならない。昇級には1年かかる。そうしてのぼりつめたA級で優勝して初めて、名人に挑戦できる。そのタイトル戦で当時名人の加藤一二三・九段(78)から4勝2敗でタイトルを奪取したのだ。
終局後、最年少名人の誕生に詰めかけた大勢のマスコミを前に、静かに語った「名人位を1年間預からせていただき、来年の挑戦者に私が挑戦するつもりでぶつかります」という談話は、現在も語り継がれる。「これは本心。うまく勝ち星が集まって運がよかったのです」と目を細める。
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40年余りの棋士人生で最も多く対局したのは羽生竜王だ。タイトル戦で何度もしのぎを削ってきた。
「一方的にこちらが意識していたこともあったし、お互いが張り合っていた時期もありました」
平成4年、史上4人目の四冠王となったが、8歳年下の羽生竜王も猛然と追い上げてくる。タイトル保持数はやがて逆転し、自身は王将のみ、羽生竜王は六冠を携えて迎えた第44期王将戦七番勝負は7年1月12日に開幕した。
5日後に阪神大震災が発生。神戸市の自宅で被災し、実家も全壊。慣れ親しんだ神戸の街は未曾有の被害を受けた。
「羽生さんにタイトル戦でずっと負けていたので、自分の将棋を見失っていた時期だった。だが1月17日以降、負けることが怖くなくなった。もっと大変なことを経験したから」
結果は4勝3敗のフルセットで七冠を阻止。翌8年、羽生竜王に王将を奪われ七冠を許すが、すぐに反撃。竜王奪還、翌年には名人を奪い返し、永世名人を獲得した。
将棋界を代表するライバルの2人だが、今は少し心境が違っているようだ。
「勝ち負けは争っているが、それを超越して将棋の真理をお互いが追及する気持ちで対局できているのではないか。互いに分かり合っているので、将棋に集中でき、幸せな時間です」
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今年度は16勝10敗と好調で、今月指された早指し棋戦の朝日杯将棋オープン戦でも、若手強豪を破って1次予選を突破した。
「30歳くらい離れた人と対局するようになり、楽しい。新しい感覚や考え方を持っていると思うこともあれば、将棋というのは変わらないなあとも」
弟子の都(と)成(なり)竜(りゅう)馬(ま)五段(28)との研究会には、菅井竜也七段(26)や斎藤慎太郎七段(25)らタイトル戦で活躍する若手が門をたたく。「最新型についていけるようになったし、弟子にとってもよかった。彼らに感謝です」
史上最年少プロ、藤井聡太七段(16)とは、小学2年生のころイベントで指導対局をしたことがあるが、公式戦ではまだない。
「藤井君とは40歳離れている。年齢関係なく真剣勝負ができるのは将棋の世界ならでは。それは大きな楽しみの一つです」。レジェンドの目がキラリと光った。 (中島高幸)
情報源:1300勝達成、将棋谷川浩司九段に聞く 羽生竜王との対局は「幸せな時間」(1/2ページ) – 産経ニュース
へぇ・・・