ふむ・・・
「将棋界の歴史が変わるかどうかが、かかっている」
2016年9月3日。棋士養成機関「奨励(しょうれい)会」の三段リーグ戦で、当時14歳の藤井聡太(そうた)と最終戦を戦っていた西山朋佳(ともか)は、そんな重圧を感じていた。
29人の三段のうち、成績上位2人がプロになれる。聡太は午前の1局目に敗れて12勝5敗となったが、西山に勝てばプロ入りが決まる状況だった。
女性初の「棋士」を目指す西山は10勝7敗。この時のリーグでプロになる目は既に消えていた。ただ、西山は「対局前は妙な自信があった」と振り返る。
「それまで対戦相手の昇段がかかった一番で、よく勝っていた。藤井君との対戦成績も2勝0敗で、相性がいいと思った」
西山が選んだ作戦は、飛車を中央に据えて戦う「中飛車」。得意戦法で臨んだが、開始早々、7歳下の聡太のただならぬ気迫を感じたという。「序盤から前のめりになっていて、勝ちしか考えていない様子だった。『怖い』と思った」
気持ちの差は、将棋の内容に表れた。聡太の積極的な攻めを許し、西山は守勢に立たされた。粘ったが、最後は押し切られた。「完敗だった」。「史上最年少棋士」の記録が、62年ぶりに更新された瞬間だった。
別室では記者会見が用意されていた。プロになる段階で開かれるのは異例だ。地元愛知県のテレビ局を含む50人超の取材陣の前に、水色のシャツを着た聡太が姿を見せた。「(1局目の後に)気持ちを切り替えて、力を出し切ろうと思った。昇段できてうれしい」と語った。
愛知にいた師匠の杉本昌隆七段の元には、他の棋士らから次々と吉報が寄せられた。自分の弟子が初めて棋士になった喜びがこみ上げる一方、聡太の快挙を冷静に受け止めていた。
「四段になるのは当たり前。途中経過の一つに過ぎない」
快進撃が幕を開けたのは、その3カ月後だった。=敬称略、おわり
(村瀬信也)
◆次回「番外編」は11月4日から掲載予定です。
情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:15 史上最年少棋士、快進撃への通過点:朝日新聞デジタル
村)今日の朝刊の記事です。三段リーグ戦の最終戦で藤井聡太三段と対戦した西山朋佳三段。重圧を感じる一方、対局前には「妙な自信」があったそうです。なぜでしょうか?
(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:15 史上最年少棋士、快進撃への通過点:朝日新聞デジタル https://t.co/5EnwJHdvlC— 朝日新聞将棋取材班 (@asahi_shogi) October 21, 2018
ほぉ・・・