(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:3 トップアマのアパート、通って練習:朝日新聞デジタル

順位戦A級の稲葉陽八段のお兄さんだな。


少年時代の藤井聡太七段と練習対局を重ねた稲葉聡さん=名古屋市、佐藤圭司撮影
少年時代の藤井聡太七段と練習対局を重ねた稲葉聡さん=名古屋市、佐藤圭司撮影

「藤井君とは150局ぐらい指し、私の勝率は3割ほど」

そう語るのは、名古屋市の会社員、稲葉聡(さとし)(32)だ。高校生棋士の藤井聡太(そうた)七段(16)が小学4年から中学1年にかけての約3年間、練習対局を重ねた。

稲葉は、朝日アマ名人に2度輝いたアマチュアの強豪だ。プロ養成機関「奨励会(しょうれいかい)」に在籍したこともあり、師匠は関西の井上慶太九段(54)だった。同門のA級棋士、稲葉陽(あきら)八段(29)は弟だ。

聡太は週末、名古屋市内の稲葉聡のアパートに通い、午前10時から夕方まで稲葉や奨励会員と将棋を指した。東海地域の子どもたちは東京や大阪に比べると練習相手が少ない。「私で役に立つなら」と稲葉が自宅で始めた小さな研究会だった。

元々は、稲葉が中西悠真(ゆうま)(16)=現在は奨励会二段=らを教えていたが、中西の母和美(かずみ)(45)と聡太の母裕子(ゆうこ)(48)が仲良しという縁で、聡太も通い始めた。「藤井君は最初から手厚い指し方をして(良い意味で)子どもらしくないなと感じた」と稲葉は振り返る。

稲葉が人脈を生かし、藤原直哉七段(53)が関西で主宰する研究会「F研(エフけん)」に聡太を参加させたこともある。兵庫県加古川市にある稲葉の実家に聡太を泊め、翌日は井上九段の弟子と対局させた。のちに井上門下の菅井竜也王位(26)、稲葉陽八段、そして師匠の井上九段は、プロ入りした聡太に勝ち、一門は「藤井キラー」と報じられるようになる。不思議な縁だ。

稲葉聡は2015年秋、若手の登竜門の加古川青流戦で優勝する。アマがプロ公式戦で優勝するのは史上初の快挙だった。だが、このころ、聡太との対局を打ち止めにした。稲葉は「最後は将棋にならなくなりました」と明かす。「私の方が得るものが多かった。将棋の基本にかなった、筋の良い手を私が教えてもらいました」と感謝する。この年の10月18日、聡太は三段に昇った。=敬称略

(佐藤圭司)

◆毎週日曜に掲載します。

情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:3 トップアマのアパート、通って練習:朝日新聞デジタル


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