ほぉ・・・
愛知県瀬戸市の住宅街の一角にある2階建ての一戸建て住宅。その1階の6畳2間が、高校生棋士の藤井聡太(そうた)六段(15)が5歳のころ、初めて本格的に将棋を教わった「ふみもと子供将棋教室」である。
教室を開く日本将棋連盟瀬戸支部長の文本力雄(ふみもとりきお)(63)が直接、聡太を指導した。教室は聡太の自宅の近くにあり、母の裕子(ゆうこ)(48)は週3回付き添っていた。字がうまく書けない聡太のために、文本から教わった格言や詰将棋(与えられた駒の配置と持ち駒で王将を詰める問題)の手順をノートに書き写すのが、裕子の役割だった。
文本の指導方針は明確だった。(1)将棋の定跡(じょうせき)(最善とされる決まった手順での指し方)を覚える(2)詰将棋を解く(3)子ども同士で対局する。「将棋に不可欠な3要素です。定跡や詰将棋など、地味で嫌がることを克服することで基礎の土台ができるのです」
入門した子ども全員に課すのが、「駒落ち定跡」の習得だった。駒落ちとは、上級者が下級者と指すときに自分の駒を減らし、ハンディを背負うことだ。文本は「駒落ち定跡には将棋のエッセンスが詰まっており、手筋の宝庫です」と言う。最初は丸暗記でもいい。覚えていくうちに体に将棋が染みつき、やがて開花すると考えている。
教室で聡太と一緒に学んだ名古屋市の田畑秀人(たばたひでと)(23)は「5歳や6歳では集中力が続かないのが普通ですが、藤井くんはずっと将棋盤を見つめていました。自分の世界に入っている様子で、感想戦でも自分の意見をしっかり伝えていました」と振り返った。
文本は、プロ棋士養成機関「奨励会(しょうれいかい)」に入会する直前にあいさつに訪れた小学4年の聡太に対し、「名人をめざすのではなく、名人を超えてみせろ」と伝えた。
のちに地元ラジオ番組に出演した聡太がこう宣言するのを聞いた。
「名人を超えたい」=敬称略
◆毎週日曜に掲載します。
情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)成長編:5 定跡・詰将棋・対局…土台築いた教室通い:朝日新聞デジタル
ふむ・・・