ふむ・・・
ちょっと気が早いかもしれませんが、将棋の最年少プロ、藤井聡太六段(15)の高校卒業後の「次の一手」が気になります。地元・愛知にとどまるのか、それとも…。
先日、藤井六段は神戸市内で開かれた将棋の竜王位獲得者らが子どもたちを指導するイベント「竜王アカデミー」にゲストとして参加しました。トークセッションでは、メイン講師の神戸出身の谷川浩司九段(56)がなぜ地元にとどまるのかを語り、ゲストとして参加した師匠の杉本昌隆七段(49)も地元愛知への思いを語りました。
藤井六段と同じく中学生でプロ棋士となり、83年に史上最年少で名人になった谷川九段は「21歳で名人になったとき、東京に出たほうがいいんじゃないかなという気持ちもあった」と打ち明けました。
ただ別の思いもありました。「政治、経済、文化、すべてが東京に集中するのはよくない。将棋という文化は全国どこにいても発信できるという気持ちもあった」。思い悩んだ末、神戸にとどまることを選んだそうです。
神戸への思いをより強くする出来事もありました。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。谷川九段は神戸市東灘区のマンションで被災。同年、羽生善治名人(当時)の7冠を阻止して王将位を死守した。「羽生さんに負けることが多くなり、気持ちが弱くなっていた。意識過剰になっていたこともあった。震災発生後の王将戦は前向きにできた」。
震災を経験してプロ棋士になったときの気持ちを取り戻しました。震災前は「将棋を指すのは自分」と傲慢(ごうまん)に考えているところもあったそうですが「将棋が指せるだけでありがたい。多くの人のおかげで将棋ができる」と感謝するようになりました。
師匠の杉本七段は「愛知県は将棋が盛んな地域。将棋が好きな人も多い。一方でプロ棋士は少ない。藤井六段がプロになるまでは現役で愛知県在住のプロは私1人だった」と振り返り、愛知を離れることがなかった理由として「生まれ育った地に愛着があった。そこで活躍することが自分の役目だと思った。地元の少年たちを指導するのも好きだった。その中に少年の藤井六段を出会うこともできた」と語りました。
杉本七段は「藤井六段と出会えて、縁を感じている。師弟として付き合えて大変うれしい」と語ると、藤井六段は「師匠に温かく見守ってもらっているのが、自分の力になっている」と感謝を表しました。
イベントでは谷川九段と藤井六段による模範対局も行われ、お辞儀の仕方や正しい駒の並べ方を解説。約60人の子どもたちは真剣な表情で2人の「次の一手」を予想しました。
藤井六段が高校を卒業するまで3年。もちろん、卒業後の「次の一手」はだれにも予想できません。ときおり目を閉じ、あこがれの先輩と師匠の地元への思いを聞いていた藤井六段。とことん考え、納得のいく結論を出すと思います。
【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)
情報源:藤井六段の高校卒業後の「次の一手」が気になります(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース
情報源:藤井六段の高校卒業後の「次の一手」が気になります – ナニワのベテラン走る〜ミナミヘキタヘ〜 – 芸能コラム : 日刊スポーツ
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