1973年に棋聖位を獲得し、会心の笑みを浮かべる有吉道夫八段(当時)

【勝負師たちの系譜】関西の大御所の逝去 60歳までA級持続力の有吉道夫九段| zakzak

享年87歳


2022.10/8 15:00

1973年に棋聖位を獲得し、会心の笑みを浮かべる有吉道夫八段(当時)
1973年に棋聖位を獲得し、会心の笑みを浮かべる有吉道夫八段(当時)

この9月27日、関西の大御所とも言える、有吉道夫九段が逝去した。87歳だった。

有吉九段は岡山県備前市の出身で、16歳の時に同郷の大山康晴十五世名人の門下生となった。師匠の家に住み込む内弟子生活を4年半続け、19歳で四段(プロ)になった後も、内弟子はしばらく続けていた。

順位戦の最高峰であるA級昇級は、29歳の時。それから通算21期、A級に在籍した。

特筆すべきは若い頃強かっただけでなく、途中で2回B1に降級しながらも、60歳までA級に在籍していたということ。その持続力は驚異的であった。これも内弟子で修業した、鍛えのたまものであろう。

ただ運が悪かったのは、初のタイトル戦が師匠の大山相手の王位戦だったように、師匠の全盛期にぶつかったため、名人戦を含むタイトル戦に9回出場するも、1度しかタイトルを奪取できなかったこと。

大山の次の世代は中原誠十六世名人が棋界を制覇し、この2人を超えるのは容易でなかったのである。

しかし、その1回は1972~73年、中原相手の棋聖戦で、五番勝負は最初2連敗したものの、後を3連勝して初タイトルを奪取。しかも37歳という、初タイトルの最年長記録を更新しての快挙だった。

将棋大賞では1984年度、勝率第1位賞を獲得。この時1位を争った島朗五段(当時22歳)が後で、「まさか50歳の人に負けるとは思わなかった」と言って脱帽していたことを思い出す。

私との初対局は、五段の時の棋王戦。有吉九段に矢倉中飛車から玉が薄いにもかかわらず、ガンガン攻められて倒され、『火の玉流』と言われる理由が分かった気がした。

その後も2連敗して、七段になるまで1回も勝てなかった記憶がある。

最後の対局は2000年、非公式戦『達人戦』の決勝で、この時「青野君、棋士も60歳を超えると、とんでもないことが起こるよ」と言われた。

確かに私も60歳過ぎた辺りから、駒をただ取られたり、3手詰みのトン死を食ったりしてその度に、その言葉を思い出していた。

70歳を過ぎても年中関西の会館に通い、若手に将棋を教わっていたことが、74歳まで現役を続けられた要因であろう。私にはとてもまねができない。

■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。

情報源:【勝負師たちの系譜】関西の大御所の逝去 60歳までA級持続力の有吉道夫九段(1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト



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