「棋士のまち加古川」の拠点「かこがわ将棋プラザ」で(左から)船江恒平六段、井上慶太九段、横山友紀四段=兵庫県加古川市、滝沢美穂子撮影

実は「棋士のまち」 将棋愛あふれる関西のあの市は進化形:朝日新聞デジタル

その内の4人が加古川観光大使

  • 久保利明九段
  • 井上慶太九段
  • 稲葉陽八段
  • 船江恒平六段


2021年12月9日 15時30分

「棋士のまち加古川」の拠点「かこがわ将棋プラザ」で(左から)船江恒平六段、井上慶太九段、横山友紀四段=兵庫県加古川市、滝沢美穂子撮影
「棋士のまち加古川」の拠点「かこがわ将棋プラザ」で(左から)船江恒平六段、井上慶太九段、横山友紀四段=兵庫県加古川市、滝沢美穂子撮影

「まだまだ勝手に関西遺産」

藤井聡太四冠(19)の快進撃などで将棋ブームまっただ中だ。棋士が対局する「将棋会館」がある東京都渋谷区千駄ケ谷、「関西将棋会館」がある大阪市福島区、そして2023年度に関西将棋会館が移転予定の大阪府高槻市。将棋駒の産地として名高い山形県天童市など、将棋ゆかりの場所にも注目が集まる中、関西に「棋士のまち」があるのをご存じですか。

将棋の現役棋士は現在172人。引退棋士64人を加えても全国で236人しかいない希少な存在だ。うち6人が、人口約26万人の兵庫県加古川市出身か在住。大都市は別にして、棋士の出現率がこれほど高い地方都市は「非常にまれ」として加古川市は「棋士のまち加古川」を名乗る。JR加古川駅にはゆかりの棋士の写真入りパネルが飾られ、街路には「棋士のまち加古川」と書かれたのぼりがはためく。駅前の広場には将棋盤と駒を備えたベンチや、ゆかりの棋士が詰将棋を出題する専用スペース付きの時計台も。

この将棋愛、尋常ではない。

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「昔から将棋は盛んでした」と久保利明九段(46)。棋王や王将のタイトルも獲得した名棋士は加古川市で生まれ育った。少年時代に腕を磨いたのが、聖徳太子ゆかりとされ、「播磨の法隆寺」と呼ばれる鶴林寺(かくりんじ)の近く。屋外に腰掛けなどを出して、将棋を指して楽しむ「縁台将棋」が今も根強く残る場所だ。11月最後の日曜日の昼下がり、記者が鶴林寺を訪れると、近くの林の中で二十数人の愛好家が対局していた。やはり、ずっと続いていた。鶴林寺は名人戦などのタイトル戦の舞台にもなった。地元の将棋への理解があればこそ、だろう。王将というタイトルの防衛戦で2度、鶴林寺で対局した久保九段は、地元名産の「かつめし」を注文するなど、地元愛も発揮しながら奮戦。「生まれ故郷でタイトル戦を指せるのは、うれしかった。2戦2勝ですよ」と胸を張った。

「ウチの師匠が抽選で当たったのが大きかった」と謎のコメントをくれたのは船江恒平六段(34)。加古川市出身で、現在も在住。若手棋士の登竜門にと2011年に加古川市などが創設したプロ公式戦「加古川青流戦(せいりゅうせん)」の初代優勝者でもある。秋に鶴林寺で指される決勝三番勝負は、加古川市の風物詩だ。船江六段は「将棋以外の勉強もしたい」と公認会計士試験に挑み、20年に見事、合格したユニークな才人だ。

「ウチの師匠」とは井上慶太九段(57)のこと。真摯(しんし)な対局姿勢や、対照的にユーモアたっぷりの解説で人気の棋士だ。兵庫県芦屋市出身の井上九段は結婚を機に新居をと、県内各地のマンション購入の抽選に申し込んだが、1990年代初めのバブル期で高倍率のため落選続き。十数回目でついに抽選で当たった加古川市のマンションに92年、引っ越した。地縁は無かったが「自然豊かな加古川が自分には合った」と井上九段。97年には実力トップ10とされるA級棋士になった。54歳だった2018年には公式戦で藤井聡太・当時六段に勝利。藤井聡太四冠に公式戦で勝利した最年長記録だ。

加古川市内の将棋道場「加古川将棋センター」の師範を引き受け、将棋の普及にも力を入れた。道場の経営者が高齢になるなど、道場存続の危機もあったが、「子供たちが楽しく将棋を指す場所が無くなるのは、もったいなくて」、井上九段は土日限定で道場の運営を引き受けた。現在もJR加古川駅前のビル7階の「かこがわ将棋プラザ」で道場は続く。この道場に通った加古川の子供たちから、井上九段に弟子入りし、棋士養成機関「奨励会」に入ってプロを目指す若者が次々に現れた。2008年に稲葉陽(あきら)八段(33)、10年に船江六段がプロ入りを果たした。稲葉八段の父、隆弘さん(69)は「陽が幼稚園の時、私の転勤で兵庫県西宮市から加古川市に引っ越しました。ちょうどJリーグが出来たころでサッカーが人気で、陽もサッカーをやり始めていたかな。加古川に引っ越して井上九段の道場と出会わなかったら、将棋はやっていなかったように思います」と話す。優秀な棋士を育てた実績や明るく、時に厳しい井上九段の指導が評判になり、四国や九州から加古川市に通う子供たちもいる。

「歴代の市長さんが将棋に理解があったのも、ありがたかった」と井上九段は感謝する。井上九段の行動をずっと側で見ていた弟子の船江六段は「師匠は、長い時間をかけて、加古川市の皆さんとの信頼関係を築かれていました」と証言する。

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今年も将棋の加古川勢は活躍した。第70回NHK杯テレビ将棋トーナメント(20年度)で稲葉八段が優勝。人気棋士が3人1組のチームを作って戦った「第4回ABEMAトーナメント」では、稲葉八段、久保九段、船江六段が「チーム稲葉『加古川観光大使』」として参戦。船江六段は藤井聡太・当時二冠に勝ち、加古川の将棋ファンを沸かせた。10月1日付で加古川市出身、在住の横山友紀(ともき)四段(21)がプロ入り。「小学生のころは野球もやっていて、野球の練習が終わるとユニホーム姿のまま将棋道場に通いました。自分が棋士になれたのは、ゆかりの先輩棋士に指導してもらえたから。加古川の恵まれた環境のおかげ」と横山四段は感謝する。さらに、その後に続く若者も大勢いる。

「棋士のまち加古川」は現在進行形。ますます進化しそうだ。(佐藤圭司)

演歌「おゆき」などをヒットさせ、歌手としても活躍した、将棋の内藤國雄九段(82)の話

加古川市出身の棋士第1号は、私の弟子の神吉(かんき)宏充七段(62)。地元の皆さんには弟子が大変お世話になったに違いありません。ありがたいことです。加古川市は、私の好敵手と呼ばれた有吉道夫九段(86)らが熱心に普及に取り組んだ地域で、昔から将棋に対して愛情がある人が多かった印象です。有吉九段から直接依頼されて、加古川市のホテルでファンの目の前で有吉九段と公開対局をしたこともあります。兵庫県在住で関西将棋会館(大阪市福島区)を活動拠点とするベテラン同士ということで「大御所席上対局」と銘打たれましてね。熱心な将棋ファンが加古川市におられたから実現しました。加古川市が「棋士のまち」になったのは、多くの人の長年の尽力があったからでしょう。

いま加古川で活躍している井上九段は、私の弟弟子・若松政和八段(82)の弟子。その井上九段の弟子が今年の秋、同時に2人、棋士になりましたね。うち1人は加古川市出身・在住とか。私も若いころ、師匠(故藤内金吾(ふじうちきんご)八段)に喜んでもらいたくて、将棋を頑張ったことを思い出しました。

情報源:実は「棋士のまち」 将棋愛あふれる関西のあの市は進化形:朝日新聞デジタル




都道府県じゃなくて市区町村単位でだからなぁ・・・


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