将棋 第91期ヒューリック杯棋聖戦 昼食休憩後、再開した対局に臨む渡辺明棋聖(左)と藤井聡太七段=28日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館(川口良介撮影)

【棋聖戦の歴史】最年少記録、「初タイトル」12人…歴史刻んだ五番勝負(1/3ページ) – 産経ニュース

昔は年2回開催されていたからね。


2020.7.8 18:22

将棋 第91期ヒューリック杯棋聖戦 昼食休憩後、再開した対局に臨む渡辺明棋聖(左)と藤井聡太七段=28日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館(川口良介撮影)
将棋 第91期ヒューリック杯棋聖戦 昼食休憩後、再開した対局に臨む渡辺明棋聖(左)と藤井聡太七段=28日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館(川口良介撮影)

将棋の高校生棋士、藤井聡太七段(17)がタイトル戦「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」(主催・産経新聞社、日本将棋連盟、特別協賛・ヒューリック)で、史上最年少のタイトル獲得を目指し、渡辺明棋聖(36)=棋王・王将=に挑んでいる。昭和37年に始まった第1期から昨年の第90期まで数多くの激闘が繰り広げられてきた棋聖戦。棋士が盤を挟んで指した棋譜からは多くの名勝負やドラマが生まれた。渡辺棋聖の初防衛なるか、藤井七段の最年少タイトル獲得なるか。今期も棋史に残る五番勝負となりそうだ。

棋聖戦は早指し王位決定戦を前身に昭和37年、創設された。当時は、名人戦・十段戦・王将戦・王位戦の四大タイトル戦。その中で、棋聖戦のシステムは(1)1年に2回行い、1月と7月に棋聖位を決定する(2)持ち時間はすべて各7時間とし、1日で指し切る-など独自なものだった。

体調がすぐれなかった升田幸三実力制第四代名人のために1日制のタイトル戦としてつくられたともされる。その升田実力制第四代名人は番勝負に2回挑むも手が届かなかった。一方、ライバルの大山康晴十五世名人は創設から7連覇、永世棋聖(通算5期)の資格を獲得した。

平成6年まで年2回開催だったこともあり、「初タイトルが棋聖」という棋士は多い。第89期(30年)の豊島将之竜王・名人(30)まで12人もいる。

多くの記録やエピソードも誕生している。

藤井七段が今期の棋聖戦で17歳10カ月と20日で、31年ぶりにタイトル初挑戦の最年少記録を更新。それまで17歳10カ月と24日の記録を持っていた屋敷伸之九段(48)が達成したのは元年の第55期で、屋敷九段は翌56期で18歳6カ月のタイトル獲得最年少記録を樹立した。

8年2月、羽生善治九段(49)が王将を獲得し、前人未到の全7冠制覇を達成した。その牙城を崩したのが第67期で挑戦した三浦弘行九段(46)。フルセットで初タイトルを獲得するとともに、167日間の「羽生善治七冠」に終止符を打った。

タイトル戦史上初の3冠同士が激突したのも棋聖戦だった。25年の第84期、棋聖・王位・王座を保持していた羽生九段に、竜王・棋王・王将を持っていた渡辺棋聖が挑んだ。結果は羽生九段が制し、“渡辺時代”の到来を遅らせたともいわれた。

若手が台頭し、世代交代の象徴とされたのが30年の第89期。豊島竜王・名人が羽生九段から棋聖を奪取したことで、8つのタイトルを8人が分け合う「戦国時代」の状態となった。七大タイトル時代に7人が分け合った昭和62年以来、約31年ぶりの出来事だった。

3つの名勝負

第5局で大山康晴棋聖(左)は升田幸三・九段を破り、6連覇を達成した=昭和40年7月、東京・将棋会館
第5局で大山康晴棋聖(左)は升田幸三・九段を破り、6連覇を達成した=昭和40年7月、東京・将棋会館

(1)第6期(昭和40年)大山康晴(棋聖)-升田幸三・九段(挑戦者)

2人は「昭和棋界の竜虎」として激闘を繰り広げ、名勝負を残した宿命のライバル。昭和38年の第3期に続き、再び、相まみえた。大山棋聖は前期、5連覇で「永世棋聖」を手にし、脂が乗っていた。
一方、第3期で1勝しかできなかった升田九段は大山棋聖の6連覇を阻むべく、闘志むき出しで対局に挑んだ。先手となった第1局は自らのペースに持ち込み、97手で快勝。双方とも持ち時間の大半を残してのスピード対局だった。

2局は升田九段の見落としがあり、大山棋聖が1勝1敗のタイに戻した。第3局は角換わりから大山棋聖が急戦を挑んだ。しかし、升田九段が巧妙に応酬して完勝を収めた。同局も短時間で終わった。

初の棋聖獲得に王手をかけた升田九段。しかし、第4局は寄せを誤り、第5局は大山棋聖の粘りにミスが出て、連敗。升田九段の棋聖獲得はならなかった。升田九段はこの後、病気で一時休場することになる。

第4局で山田道美棋聖を破り、初タイトルとなる棋聖を獲得した中原誠六段=昭和43年7月、東京・将棋会館
第4局で山田道美棋聖を破り、初タイトルとなる棋聖を獲得した中原誠六段=昭和43年7月、東京・将棋会館

(2)第12期(昭和43年)山田道美(棋聖)-中原 誠(挑戦者)

中原六段は前期、20歳でタイトル初挑戦だった。だが、2勝3敗で惜敗した。

初タイトルに執念を燃やす中原六段は本戦にシードされ、準決勝で升田幸三・九段を破り、挑戦者決定戦に進出した。相手の高島弘光五段に苦しめられるが、逆転勝ちで2期連続の挑戦者となった。

神奈川県箱根町で行われた第1局は山田棋聖が圧勝。第2局は山田棋聖の地元・愛知県で指されたが、逆に中原六段が快勝した。勝者が棋聖に王手をかける第3局は矢倉の持久戦となった。妙手を放つ中原六段の技が決まり、初タイトルまで、あと1勝とした。

迎えた第4局。前期の経験を生かし、落ち着いて対局に向かうことができた中原六段がペースを握り、念願の初戴冠となった。20歳でのタイトル獲得は当時の最年少記録となった。

棋聖2期獲得の山田元棋聖は昭和45年6月、血小板減少性紫斑病のため、36歳の若さで急逝した。現役のA級棋士だった。

公開対局となった第1局で谷川浩司棋聖に挑む羽生善治三冠(右)。3勝1敗で制して初の棋聖を獲得、史上最年少の4冠王となる=平成5年6月、大阪市中央区
公開対局となった第1局で谷川浩司棋聖に挑む羽生善治三冠(右)。3勝1敗で制して初の棋聖を獲得、史上最年少の4冠王となる=平成5年6月、大阪市中央区

(3)第62期(平成5年)谷川浩司(棋聖)-羽生善治(挑戦者)

4連覇を目指す谷川棋聖に挑戦するのは竜王・王座・棋王の3冠王。22歳の史上最年少で3冠を達成した羽生三冠は棋聖初挑戦だ。

第1局は104手で後手の谷川棋聖が快勝した。続く第2局は谷川棋聖が良い将棋を指していたが、羽生三冠が逆転勝ち。勢いに乗る羽生三冠は第3局も107手でものにした。

後がない谷川棋聖は第4局、攻勢に出る。しかし、それが一息つくと、羽生三冠が谷川玉に襲い掛かった。苦しい将棋の谷川棋聖は攻防の名手で流れを引き寄せたものの、羽生三冠の一手にミスをし、敗れた。

2局目の逆転勝ちが流れを変え、棋聖を奪取した羽生三冠。大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖、谷川九段に次ぐ、5人目の4冠王となった。26歳で達成した中原十六世名人の記録を4歳更新しての史上最年少だ。

多くの名勝負を生んだ谷川-羽生戦。これまでに168局あり、中原十六世名人-米長永世棋聖戦(187局)に次ぐ、歴代2位となっている。

情報源:【棋聖戦の歴史】最年少記録、「初タイトル」12人…歴史刻んだ五番勝負(1/3ページ) – 産経ニュース


藤井聡太七段 vs △渡辺明棋聖(棋譜を見る

藤井聡太七段の先手


 



このまま、ストレート勝ちなるか?