自宅からほど近いランニングコース。雨模様だったが、夕方になるにつれて日が差してきた=東京都江戸川区

(フロントランナー)将棋棋士・木村一基さん 止まるな。走り続けよう:朝日新聞デジタル

ほぉ・・・


1面

2020年2月22日 3時30分

自宅からほど近いランニングコース。雨模様だったが、夕方になるにつれて日が差してきた=東京都江戸川区
自宅からほど近いランニングコース。雨模様だったが、夕方になるにつれて日が差してきた=東京都江戸川区

趣味のランニングをしている時の撮影をお願いすると、真新しいピンクの厚底シューズを履いて現れた。

(フロントランナー)木村一基さん 「大変きつい職業になった実感はあります」

「正月に箱根駅伝で見て、衝動買いしました。弾むような感触です」

週に2回、多い時は4回。自宅近くの荒川沿いなどで、6~7キロを40~50分で走る。体重は、中学3年の頃からほとんど変わらない。

「いつか、フルマラソンに出てみたいですね」

棋士として歩んできた道のりは、平坦(へいたん)ではなかった。将棋界に八つあるタイトル戦で初めて挑戦者になったのは32歳の時。4連敗で敗退した。2009年の王位戦では、3連勝後に4連敗を喫する屈辱を味わった。40代半ばになり、大舞台から遠のいていた。

昨年9月、重い扉を開ける時がついに訪れる。当時、二つのタイトルを手にしていた豊島将之名人・竜王(29)に挑戦した王位戦。3勝3敗で迎えた第7局を制し、王位のタイトルを手にした。46歳3カ月での初タイトル獲得は、有吉道夫九段(84)の37歳6カ月を更新する快挙。7回目のタイトル戦での初獲得も新記録だった。

「よく4回も勝ったなと。なぜ取れたのか、いまだにわかりません」

対局を振り返る際にはユーモアを交えてぼやき、タイトル戦などの解説では漫談のような語り口で笑いを誘う。アマチュアへの普及活動も熱心で、約160人いる現役プロの中でも5本の指に入る人気棋士だ。昨年12月に開かれた王位獲得の祝賀会には、棋士やファンら約500人が詰めかけた。

高校生棋士の藤井聡太七段(17)が台頭し、20代の棋士が相次いでタイトル保持者になるなど、将棋界は世代交代が進みつつある。そんな状況下での活躍とあって、しばしば「中年の星」と称される。「照れくさいです。自分がその対象でいいのかな」

対局中に疲れを感じ、加齢を自覚することもある。それでも、序盤作戦の研究や他の棋士との鍛錬は怠らない。名人3連覇の実績を持つ佐藤天彦九段(32)は、VS(ブイエス)(1対1の練習対局)を15年ほど続けている間柄だ。

「これほど情熱を持ち、努力を続ける姿勢はなかなかまねできない。VSの時でもスパーリングではなく、常に『勝負』という迫力を感じる」

3年ほど前、人工知能(AI)を搭載したソフトを研究に採り入れた。行き詰まりを感じた時にヒントをくれる、良き相棒だ。

「そんな手があったのかと、いつも気づかされる。面白いですよ」

4月で、プロ入りから23年になる。意欲と向上心は、今も若手に負けていない。(文・村瀬信也 写真・飯塚悟)

きむらかずき(46歳)

(3面に続く)

情報源:(フロントランナー)将棋棋士・木村一基さん 止まるな。走り続けよう:朝日新聞デジタル


3面

2020年2月22日 3時30分

名人挑戦権を争うA級順位戦で、羽生善治九段と対局する=1月29日、東京・千駄ケ谷の将棋会館
名人挑戦権を争うA級順位戦で、羽生善治九段と対局する=1月29日、東京・千駄ケ谷の将棋会館

(1面から続く)

――初タイトルに、どんな反響がありましたか。

喜んでくださる方が多かったです。昨年12月の祝賀会にも、存じ上げない方がたくさん来てくれました。

――取材も多かったですか。

雑誌やラジオのほか、企業の機関誌の取材も受けました。「元気のある中年」ということでの取材がよくありましたね。

――「苦労人」と言われることもあります。

うーん。勝っている人はもっと苦労していると思います。私も頑張っていると思いたいですけど、まだまだ努力は足りないです。

――王位戦は、豊島将之名人・竜王が相手でした。

序盤の研究量では太刀打ちできないと思いました。1局目で相手の得意戦法を避けてボロ負けしたので、それにぶつかっていくしかなかった。うまく開き直れたのが良かったのかな、と思います。ただ、たまたま王位戦に星が偏っただけかもしれない。実力が伴っているのかは疑わしいです。

■経験は不利にも

――豊島さんは17歳年下です。

若いから豊島さんが何かで劣っているということは全くないですし、年長者だから私が何かにたけているということもありません。

――年長である自分の経験を生かそうという考えはありませんでしたか。

将棋は、経験が生きることがあまりないと思っています。「経験が、かえって妨げにならないように」ということを意識して取り組んでいました。

――7回目のタイトル戦でした。

あれだけやって取れなかったので、「まあ無理でしょう」と見る目はあったと思います。「それを変えてやろう」という気負いもなくて。この世界で生きていくために、精いっぱい取り組んだことがたまたま結果に結びつきました。

■AI時代を戦う

――人工知能(AI)を研究に活用しているのは、いつからですか。

当時名人だった佐藤天彦九段がAIに負けた頃だと思います。解説をする時に、AIの手を知らないといけないな、と。その時は、解説で生きていこうと思っていたから(笑)。研究をしていてわからない時に、AIは必ずたたき台を出してくれる。これは、同業者は絶対に言ってくれません。ただ、AIの手を理解できないまま採り入れると、かえって毒になることもあります。

――AIを搭載したソフトのインストールは自分でやったのですか。

全部、妻に頼みました。私は何もできないので。

――ソフトも次々と強いものが出てきています。

「新しいのをインストールしてくれ」って言っているんですけど、まだですね。ただ、さほど不自由だとは思っていません。

――AIの登場で、新しい手が出てきたと感じることは多いですか。

そうですね。自分がついていけるかどうか、不安になります。

――少しでも将棋に取り組まないと、取り残されてしまうのですか。

1日やらないだけでも、結構きついと思います。そういう意味では、大変きつい職業になっているという実感もあります。対局がインターネットで中継されていますし、ある手で1回成功しても、みんなに対策を練られてすぐに使えなくなる。常に新しい作戦を考えなければいけません。

――勝負の世界の厳しさを感じますか。

半々ですね。「充実しているな」と思う時と「勘弁してくれ」と思う時と。年をとって読む力が減ったせいか、勝てなくなってきたせいか、つらいと感じる時間の方が長くなりました。

――年をとると勝ちにくくなる世界ですか。

そう感じます。記憶力とか読む量の衰えとか。自分がバカになっていくのを実感するのが、たまらなく嫌ですね。

――棋士養成機関「奨励会」に、10代の弟子が4人います。厳しい世界を目指す子どもたちに、どんなことを伝えていますか。

「やりがいがある」とは伝えています。ただ、「好きなことをやる」からこそのきつさも伝えているつもりです。

――そのきつさとは。

伸び悩んで、将棋を嫌いになる時がいつかやってくる。みんな順調にいくことばかり考えますから。

――弟子をほめないと聞きました。

「厳しい世界だから」ときつく言っています。それでつらいようなら、さっさとやめた方がいい。趣味の世界ではないので、ほとんどほめません。嫌な師匠だと思いますが。

――「ほめて伸ばす」という考え方もありますが。

弟子をとることがお金を稼ぐ「商売」だったらほめますけど。弟子の中には、やめていった人もいます。でも、やめていってもいいんですよ。将棋を通じて得たものがあれば、それでいいと考えています。

■プロフィル

小学2年ぐらいの時の木村一基さん
小学2年ぐらいの時の木村一基さん

★1973年生まれ。千葉県四街道市出身。小学2年ぐらいの時に師匠の佐瀬勇次名誉九段(故人)に見いだされたのを機に入門=写真はそのころ。「棋士という仕事を知って、なってみたいなと思った」。小学6年の時、奨励会に入会。

★難関の「三段リーグ戦」で足踏みした後、97年にプロ入り。23歳9カ月という遅咲きだった。

★07年、名人挑戦権を争うA級順位戦に初めて昇級。11年、全棋士が出場する「朝日杯将棋オープン戦」で初優勝。

★19年、9期ぶりにA級に復帰。王位戦七番勝負は開幕2連敗からの逆転劇だった。

「百折不撓」の揮毫
「百折不撓」の揮毫

★扇子によく揮毫(きごう)する座右の銘は「百折不撓(ひゃくせつふとう)」=写真。何度失敗しても信念を曲げないことを意味する。

★妻との間に2女。対局の際は弁当を持参する。「中学生の長女の分と一緒に作ってくれます」

◆次回はひきこもりの当事者が発信する「ぼそっとプロジェクト」を立ち上げた、ぼそっと池井多さん。世界各地のひきこもりの人々とつながっています。

情報源:(フロントランナー)木村一基さん 「大変きつい職業になった実感はあります」:朝日新聞デジタル


 


へぇ・・・