「情熱を持ち続けるのは難しい」棋士を目指す奨励会で感じた”プロになれる人との差”

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第33期 竜王戦 6組ランキング戦 青野照市九段 vs 知花賢アマ
2020/02/15 10時から対局開始対局開始


全国支部名人・知花賢ちばなけんさん33歳に聞く #2

高校卒業後、将棋の棋士になるべく18歳で奨励会受験を決意した知花賢さん。師匠になってくれたのは、所司和晴七段だった。

所司七段は、渡辺明三冠、近藤誠也六段といった若くしてプロになった棋士の師匠でもあるが、高校生以上での奨励会受験者も弟子にしてきた。自身も17歳での奨励会受験からプロになっていて「情熱があれば年齢のハンディははねのけることができる」と考えているからだ。知花さんとの出会いを「年齢的に大変なのは伝えましたが、とても将棋に情熱があり、自分が奨励会に入った時よりかなり強かったです」と振り返る。

将棋教室で指導する知花賢さん。現在33歳
将棋教室で指導する知花賢さん。現在33歳

奨励会には入会試験にも年齢制限がある。大半が入会する6級の場合、15歳までしか受験できない。16歳は5級、17歳は4級、18歳は3級、19歳は1級での受験とハードルが上がっていく。1986年10月生まれの知花さんは、2005年8月の奨励会試験の時点では18歳10か月。2か月早く生まれていたら19歳で1級を受けなければならず、ギリギリのタイミングでの3級受験だった。

1次試験では受験者同士が対局を行い、当時は2日で6戦。4勝すれば通過。2次試験が現役奨励会員との対局で、1日3戦のうち1勝すれば合格だった。

◆ ◆ ◆

18歳での奨励会受験「合格の自信はあった」

――奨励会受験は6級受験者が大半で、3級受験の知花さんが駒を落とす対局もあったと思います。対策など大変ではなかったですか?

知花 1次試験に角落ちはなかったと思います。香落ちはあったかな。対策は全然せず、強ければ受かると思っていました。自分は学校の勉強をしていなくて文章も苦手だから、プロになったときのスピーチができるか悩んでいたくらいで、合格の自信はありました。4連勝で1次通過が決まったあと2敗したと思います。

2次試験は奨励会員との対局で、4級だった永瀬拓矢二冠(当時中1)と。3級受験だから、こちらが後手でした。朝からの1局目で、千日手指し直しになり昼休みが終わる時間になっても決着がつきませんでしたが、最後は勝って合格しました。

――18歳で入る人はめったにいません。奨励会にはなじめましたか?

知花 入ってすぐに他の奨励会員に「将棋を教えて下さい」と声をかけたことがありました。そしたら「2000円で教えてやるよ」とお金を要求されて、奨励会は怖いところだと思いました。野球をやってきたから、つい野球と将棋の世界を比べてしまう面もありました。野球では年齢の上下関係は厳しく、年上には常に敬語です。でも、奨励会ではずっと年下の子が「知花君」なんて呼んできて、びっくりしました。年下のプロもいて、「先生、先生」と呼んですごく気を使わなくてはいけないし。そういうところには、最後までなじめなかったかもしれません。

ねぎらいの言葉で疲れが吹き飛んだ、奨励会時代

――奨励会時代はずっと、生活費を自分で稼いでいたのですか?

知花 収入は将棋連盟の販売や総務でのバイトが月に10日ほど。所司先生が紹介してくれたサークルなどで将棋を教える仕事、そして記録係です。記録係は、何か予定があっても(連盟のバイトなどは別にして)容赦なく入れられるので、他のバイトはできませんでした。それで何とか暮らしていました。節約のため5駅分とか歩くこともよくありました。

子ども将棋教室に教えに行った時。隣に写っているのは、小学生時代の小高悠太郎三段(知花さん提供)
子ども将棋教室に教えに行った時。隣に写っているのは、小学生時代の小高悠太郎三段(知花さん提供)

記録係の報酬は今よりも安くて、時給に換算するとバイトより低く「仕事じゃない、修行だ」と言われていました。若い先生に「飲み物買ってきて」とか使われるのは嫌でしたし、対局中に別部屋で昼寝する先生までいて「相手が指したら呼びに来て」と言われるのは、正直、不満でした。

今、トップ棋士や若手で活躍する棋士の中には、奨励会時代の記録係のときに舌打ちをしたり、最初からあぐらだったり、態度が良くなかった人もいます。まじめに我慢すればいいのではないのでしょうね。でも、自分はそんな堂々とした性格ではなく、心の中で不満に思うだけでした。

一方、記録係をして「お疲れさまでした」「ありがとうございました」とねぎらいの言葉をかけてもらえると、疲れが吹き飛び、不満ばかりではなかったです。山口恵梨子女流は負けたときも、ねぎらいの言葉があって印象に残っています。

ちょっと感覚が狂った気がして、二段でストップ

――師匠の所司七段にはお世話になったようですが、他の棋士からは?

知花 松尾歩八段や石川陽生七段にはよく将棋を教わり、食事もご馳走になりました。豊川孝弘七段も、私の販売でのバイト終わりに「今日はどう?」とよく声をかけていただいて教わりました。加瀬純一七段には教室のお仕事に呼んでもらってありがたかったです。片上大輔理事(当時)には、退会するときに「頑張れよ」とお餞別をいただきました。他にも良くしていただいた棋士、女流棋士の方はたくさんいます。

――3級から二段まで1年8か月です。順調に昇級していたのに二段で止まってしまいましたね。

知花 二段に上がってから5か月で11勝3敗の星を作って、次の例会では2番続けて昇段の一番となることが分かりました。そのタイミングで、1年、居候させてくれた方の休みがとれたのです。前祝いに将棋の街・天童へ行き、直前に羽生善治王座(当時)のタイトル戦が行われた宿に1泊しました。その頃、新しく指導対局の仕事を始め、やり方が分からず、悪手をたくさん指して相手を勝たせるようにしていました。それで、ちょっと感覚が狂った気がして。昇段の一番は2回負けただけでなく、そのまま8連敗。

三段昇段を目前にしていた天童旅行にて(知花さん提供)
三段昇段を目前にしていた天童旅行にて(知花さん提供)

――うーん、それは辛い……。なかなか調子が戻らなかったのでしょうか?

知花 研究仲間みたいな人を失ったということもありましたね。しょっちゅう家にお邪魔して、指したり研究したりするアマチュアの方がいて、夜型の自分に深夜まで付き合ってくれました。棋力的にはやや格下でしたが、1人でいるとダラけてしまう自分には貴重な相手でした。その方が事件を起こして捕まってしまって。指せる相手がいなくなると、奨励会でも勝てなくなってしまいました。刑務所のその方から「将棋年鑑が欲しい」と手紙が来て、送ったこともありましたね。自分に対しては、とても良くしてくれたので。

プロになれる人となれない人の差

――それで二段のまま5年になってしまった?

知花 奨励会に入った頃の情熱がなくなってダラけてしまいました。でも、それは自分だけでなく、奨励会員にはよくあることだと思います。ずっと情熱を持って頑張り続けるのは、本当に難しい。それができる人がプロになるのですけれど。

――そこがプロになれる人となれない人の差ですか。他に差はどんなところにあるのでしょう。

知花 プロになる人は、自分で相手を見つけて研究会とかしています。自分は誘われたら指すだけでした。星野良生四段にも教えてもらっていたことがあります。自分が前と同じ悪手を指したりすると、「それは前もやったよ」と指摘され、意識が全然違うんです。

――1人でできる勉強は身が入らない? ネット将棋はどうでしたか。

知花 将棋倶楽部24はやっていて、レーティングは最高3000くらいでした。でも、情熱が冷めると考えずに1秒で指してしまったり……。入会時と退会時を比べてレーティングが伸びてなかったです。

制限間近、26歳の誕生日に三段に昇段

――三段には26歳の誕生日に上がりました。二段の最後は7連勝する以外は年齢制限で退会になるという状況で昇段しています。奨励会の年齢制限は26歳ですが、制限間近で三段に昇段するような場合でも最低5期は在籍できるルールで、当時、知花さんに適用されたことが話題になりました。

知花 年齢制限が近づいてもやる気が出ず、26歳まであと2か月くらいで4連敗。退会が決まったと思い、奨励会幹事の先生に挨拶に行ったんです。そしたらまだチャンスはあり、10月の例会がちょうど自分の誕生日で「その日にちょうど7連勝で三段に上がれる。1敗でもしたらアウト」と言われました。4連敗の前に7勝1敗があって、それと7連勝を合わせれば14勝5敗の昇段の星になるということでした。

帰り道、最後くらいは頑張ろうと思いました。でも、1人ではまたダラけそうなので、道場で知り合って応援してくれていた人に頼んで、一緒に勉強してもらうことにしました。可能なときは毎日、仕事帰りに私の家に来てくれて一緒に棋書を読んだりしました。その方は強いわけではない。ただ「やるぞ」と声をかけてくれるだけで助かりました。

6連勝の次は渡辺和史現四段戦でした。苦手な相手で「次は当たるかな」と予想していました。それまで、対策なんてしてこなかったのに、渡辺さんの得意な形を研究して7連勝することができました。我ながら名局だったと思います。

――7連勝の陰にはそんなサポートがあったのですね。

知花 三段に上がってからも家に来てもらえれば良かったのですが、仕事もあるし、そうはいかないですよね。さすがに断られてしまいました。また、ダラけるようになってしまって。

――1人ではダラけてしまう自分のことをどう思いますか?

知花 ダメですね。1人でも頑張らないといけないのですが、今でも、自分をやる気にさせてくれるコーチが欲しいなんて思っています。逆に、自分ができなかったからこそ、奨励会員の教え子にコーチができればとも思います。

最後は将棋に集中できず、先後も把握しないまま例会へ

――三段リーグ5期の間にはどんなことがあったのでしょう?

知花 それがもう、最後は将棋に集中できなくなっていました。ダラけないようにと生活費を浮かすために、3期目の三段リーグのあたりで、また別の方のところで居候を始めていました。最初は歓迎してくれたのですが、迷惑になっていたんですね。だんだん険悪になり最後の三段リーグの後半で、追い出されるような状況になってしまいました。その方にはとても申し訳なかったです。

三段リーグでは、関東の奨励会員も関西への遠征が2回ほどあります。新幹線のチケットもその方の部屋に置いたまま、取りにも行けませんでした。あらかじめ決まっている先後も把握しないで例会に行き、対局相手に聞いたりしていました。退会が決まっても、こんなのじゃプロになれないのは当たり前で、何も思いませんでした。

――28歳で奨励会を退会した後は沖縄に帰ろうとは思いませんでしたか?

知花 その頃、所司先生が会社を作って将棋センターを開き、スタッフにならないかと誘われ、関東に残りました。将棋センターは移転することになったりして1年で辞めることになりました。そのとき、将棋好きの社長さんからIT系の会社に誘われました。ありがたいお話でしたが、今から違う仕事を始めたら、将棋15級みたいに一から修行やり直しだと思ってお断りしました。将棋を教える仕事は特技を生かせるし、やはり将棋が好きなので。いろいろ声もかけてもらえましたし。

将棋講師として一人ひとりを大事に見る

――今は将棋講師だけで生計を立てていますか? 何か所で教えていますか?

知花 奨励会時代に貧しいのには慣れたし、あまりお金のことは考えていないのです。定期的に教えているのは、千葉市のチャレンジ4府中市の囲碁将棋サロン棋心松戸市のかくとーふです。不定期で教えているところも合わせれば7か所です。個人指導もしていますし、ネットでも教えてますよ。

心がけているのは、一人ひとりを大事に見ること。趣味でやっている方には楽しんでもらえるように、プロを目指す子には、何でも教えるのではなく自分で考えさせるようにします。

――奨励会退会後は1年でアマ大会に復帰していますね(※奨励会有段で退会した場合、1年間アマ大会に出られない)。大会に向けての勉強はしていますか?

知花 沖縄時代は大会が好きでしたから、奨励会に入って出られなくなり、アマチュアの方と交流の場がなくなったのは本当に残念でした。だから、また大会に出たいとすぐ思いましたね。自分の場合は、教えることが勉強になっている感じです。全国大会とか大きな大会が近くなるとモチベーションが上がるので、それに合わせて勉強します。

――今後やりたいことはありますか?

知花 いずれ沖縄に戻り、道場を開ければいいなと思っています。座って将棋ばかりは良くないので、体を動かせるエイサー(沖縄県の伝統芸能。お盆に踊る)とか、健康に良いことも取り入れて。そのためにお金を貯めているかと言われると、できてないですね。竜王のタイトル賞金を目指そう!なんて思ったりして。プロ棋戦に出て稼ぐのが理想です(笑)。

写真=山元茂樹/文藝春秋
撮影協力=ボードゲームカフェ「チャレンジ4」

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青野照市九段 vs 知花賢アマ

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