「もう将棋は嫌だ!」小4で道場をやめた“西山朋佳少女”が里見香奈六冠と初めて戦った日

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ふむ・・・


西山朋佳女王インタビュー #1

将棋で「女王」といえば、7つある女流タイトルのひとつを意味する。保持するのは西山朋佳。彼女は現役奨励会三段で唯一の女性で、また慶応大SFCに在籍する才女だ(現在は休学中)。

西山女王は秋に開幕した第41期霧島酒造杯女流王将戦三番勝負、第9期リコー杯女流王座戦五番勝負に挑戦中で、里見香奈女流六冠(清麗・女流王座・女流名人・女流王位・女流王将・倉敷藤花)と「八番勝負」を戦っている。里見のタイトル獲得・防衛の勝率は8割6分あるものの、西山には今年春の第12期マイナビ女子オープン五番勝負で敗退した。もし里見が女王を奪取していれば、今年9月に成し遂げた史上初の女流六冠は、七冠独占になっていた。

八番勝負は折り返し点を迎え、女流王将戦は最終局の第3局が11月1日に行われる。女流王座戦は今月30日に開幕し、西山が制した。

西山女王は藤井聡太現七段と同時期に三段リーグに初参加し、最終戦で藤井三段の四段昇段を懸けて戦った。彼女の将棋の向き合い方を読み解けば、女流棋界の覇権争いの厳しさ、将棋ソフトの研究が当たり前になった奨励会員の素顔が明らかになるはずだ。

(全4回の1回目/#2、#3、#4も公開中)

西山朋佳女王
西山朋佳女王

◆ ◆ ◆

「姉妹で同じ習い事はさせない」

――将棋を覚えたきっかけを教えて下さい。

西山 小学1年生のとき、父と姉が将棋を指しているのを見て、興味を持ったらしいです。ふたりともルールをかじっているぐらいでしたが、私は楽しくて。大阪狭山市は将棋が盛んで、駅前の会館で将棋教室が週3回行われていて、通うようになりました。同じ小学校の先輩で、3学年上の谷口由紀(女流二段)さんとお姉さんがいて、ほかにも女の子がいたから、男の子が多くても浮くようなことはなかったです。

――お姉さんの静佳さん(現囲碁棋士)は通わなかったんですか?

西山 姉は将棋をやらなくて、ピアノやバレエ、水泳とか、色々な習いごとをやっていたんですよね。あと私も姉にならって塾にいったこともありましたが、プリントの上でよだれをたらして寝ていたから辞めさせたと聞きました(笑)。そういうのもあって、私はずっと将棋一本になったんです。

――静佳さん、将棋はやらなくても、囲碁はハマったんですね。

西山 姉が小学5年生のとき、『ヒカルの碁』の大ブームがきて、それで熱中したんですよ。あと、うちの母は「姉妹で同じ習い事はさせない。下のほうが伸びるから、上の子どもにとってあまりよくない」と思っていたそうです。

「嫌だ!」小4の頃、道場通いをやめた

――将棋はどうやって伸びていきましたか。

西山 教室はまず矢倉戦法を覚える方針だったから、いまでも信じられないんですけど、居飛車をやっていたみたいです。小学2年生でアマ初段になり、それから土日に関西将棋会館の道場に通うようになりました。

大会もよく出ていました。小学生から大学生が出場する、学校別の5人団体戦に谷口さんと出たのを覚えています。有名大が多数出場するなか20位ぐらいになってうれしかったです。小学校4年でアマ三段になったんですけど、その頃に道場通いをやめたんですよね。というのも、将棋を2、3局指したら外の公園で遊んでいたことを知人が母にいってしまったからなんですけど。

――(笑)。道場をやめたら、将棋を指す機会が減りそうです。

西山 でも自分から毎日、将棋をやる感じではなかったんですよ。母に大会や教室を勧められても、「嫌だ!」といっていました。小学校のほうが楽しかったのもあるんですけど、たまに『将棋倶楽部24』(ネット将棋)をやるぐらいでした。そんな中、近くの羽曳野市で伊藤(博文七段)先生が教室を始められて、親に「車で送ってあげるから行かないか」といわれ、ようやく行くようになったんです。それが将棋熱の戻るきっかけで、楽しく将棋がやれたんですよね。妹弟子の奈々(藤井奈々女流1級)ちゃんがいて、当時から彼女は明るくて。その教室が奨励会を目指すきっかけになったので、師匠の伊藤先生には本当に感謝しています。

女流棋士ではなく、奨励会を選んだ理由

――将棋が楽しいというのは、いままでと違ったんですか。

西山 何でなんでしょうね……。女の子がいたのは大きかったかもしれないです。あと、伊藤先生が優しかったです。怒られたこともないですし、体調が悪くて突然休んでも、何もいわれませんでした。

それでも、将棋のモチベーションは安定しませんでした。中学1年生で、中学選抜(全国中学生選抜将棋選手権大会)の推薦をいただいても、断りましたし。大きく変わったのは、周りに出場を説得されて、中学2年生のときに中学選抜の女子の部で優勝したことなんです。その頃は同年代の強い人達、例えば古森(悠太)四段、出口(若武)四段などが雲の上の存在で、自分の実力の正確な立ち位置がわからない状態でした。優勝して自信を取り戻せて、力試ししたい気持ちが出てきて、それで研修会(※)を受けました。研修会で連勝できても、自分の力がやっぱりわからず、師匠には女流棋士を勧められたんですけど、自分の力が通用するか試したいと思って、奨励会に編入ルートで入りました。

両親は反対せず、「若い子が全力で将棋を指す場所だから、奨励会にいったほうが絶対にいい」と勧めてくれました。

(※アマ初段から五段ほどが在籍し、上位の研修生は奨励会に編入する権利、女性だと女流棋士3級の資格を得る)

――奨励会入会は2010年です。入ってみて、いままでと環境は違いましたか。

西山 初回の例会から何もかも違うと思いました。私は緩くて、遊び大好きのような感じだったんですよ。中2の2月に編入する権利を得たんですけど、心の準備が欲しいなと思って、3月に入会したんです。初日、研修会のようにジーパンでファーのついたカーディガンでいったら、みんな学生服とかスーツだったんですよね。怒られはしなかったですけど、「次からは……」と注意されて、制服で行くようになりました。

里見香奈三冠と初めて戦った日

――奨励会の例会は、全員が和室に正座して、その前に幹事の棋士が座っていますよね。まず点呼があって、何か注意があったらして。そのなかで、女の子が一人だけカジュアルな服装は、さぞかし緊張しただろうと思います。

西山 私が入会したとき、幹事をやっていらっしゃったのは阿部隆(八段)先生と畠山鎮(八段)先生で、いま思えばとてもピリッと引き締まった空気でした。

――その後2011年、当時の里見香奈三冠が奨励会編入試験の相手になりました。里見さんとは初対局。西山さんは4級で、手合いは香落ちでした。

西山 あの日は確か、5月21日なんですよ。

――何で覚えているんですか?

西山 高校の修学旅行と奨励会、あと女流棋戦の制度が変わって奨励会員も出られるようになり、リコー杯女流王座戦の予選が重なっていたんですよ。修学旅行で休む人もいたんですけど、私は奨励会員の理念に従って、奨励会を選んだんです。里見さんとの対局は緊張しました。女性との対局は、中学選抜以降はない状態でしたし、奨励会に入ったから女流棋界でもやれるんじゃないかという意識はあったので。当時の私は持ち時間1時間のうち10分ぐらいしか使わなかったんですけど、そのときは持ち時間を使いきって、間違いなく全力を出しきったのに、二転三転のすえに負けてしまったんです。逆転負けはそれまでなかったので、ショックを受けました。4級は壁にぶち当たり、1年ぐらい昇級が止まっていたので、思い直すことの多い時期だったと思います。

――何か取り組み方を変えましたか。

西山 人の棋譜を参考にするようになりましたかね。といっても、棋士の棋譜じゃないんです。当時は『24』で指しまくっていたんですけど、匿名でもユーザ名だったり、噂でだれか分かるんです。それで自分と似た振り飛車を指しているアカウントの棋譜を真似るようになりました。実は、私は奨励会初段で関東に移籍するまで研究会をやったことがなく、『24』と詰将棋だけでした。地方在住が多い関西だと、それも珍しくなかったんですけど。

「もう帰る!」心の中で号泣した記録係

――なるほど。ネット将棋で指すならひとりでいいから、男女の壁は感じなかったですか。男の子の輪に、ひとりだけポツンと入って将棋を指すこともないわけだから。

西山 そうなんですよ。同性の子がいると、同性特有の話ができてうれしかったぐらいで、男女の壁は感じなかったです。

――蛸島彰子女流六段のときは「女性だと指し分けの特別規定」がありましたけど、いまはないです。壁を感じるとすれば、持ち時間が6時間の順位戦の記録係(公式戦の棋譜を採る役割)でしょうか。終局が深夜になり、終電がなくなると将棋会館に泊まるひともいますけど、女の子だとできないでしょう?

西山 私は自分から順位戦を進んで採っていて、終わったら母親が車で迎えにきてくれました。初めて記録を採ったのは高校1年生のとき、持ち時間5時間の竜王戦の対局で、フルに持ち時間を使って持将棋になったんですよ。指し直し局も千日手になりそうで、体調も悪いのもあって、心の中で号泣しながら記録係をやっていました。結局、すべて終わったのは3時過ぎ。初回の記録だからミスが多くて8枚ぐらい書き直したし、めっちゃしんどくて、途中、車の母に連絡しにいったときは「もう帰る!」とごねたりして。長考派の先生の記録はいっぱい採りましたし、関西の長時間の記録はいい思い出がいっぱいあります(笑)。

――2014年1月、現行制度では女性として2人目、最年少の18歳7か月で初段に昇段されます。3月に高校を卒業され、4月から関東奨励会に移籍し、慶應義塾大学の生活が始まります。

(全4回/#2へ続く)

にしやま・ともか/1995年6月27日生まれ、大阪府大阪狭山市出身。伊藤博文七段門下。2010年、6級で奨励会入会。2015年、三段。
女流棋戦のタイトル戦登場は5回。2018年、第11期マイナビ女子オープンで初タイトル「女王」を獲得。2019年、第12期マイナビ女子オープンで里見香奈女流四冠の挑戦を退け、防衛を果たした。
得意戦法は振り飛車で、豪快なさばきが持ち味。

情報源:「もう将棋は嫌だ!」小4で道場をやめた“西山朋佳少女”が里見香奈六冠と初めて戦った日(文春オンライン) – Yahoo!ニュースコメント

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