秀吉から加藤清正へ 朝鮮出兵命じる朱印状発見 実物は初 愛知

秀吉から加藤清正へ 朝鮮出兵命じる朱印状発見 実物は初 愛知 | NHKニュース

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2019年3月28日 12時46分

豊臣秀吉が、熊本城主だった加藤清正に朝鮮に兵を出すことを命じた朱印状が愛知県刈谷市で見つかりました。これまで、ほかの戦国大名に宛てた同じ内容の書状は見つかっていましたが、赤い朱印が押してある実物が見つかったのは初めてです。

今回見つかったのは天正20年(1592年)3月23日に豊臣秀吉から加藤清正に宛てた朱印状で、旧刈谷藩の藩士の子孫の家から寄贈されたものを愛知県の刈谷市歴史博物館が分析した結果、実物と断定されました。

内容は、対馬の戦国大名らに次いで清正も「高麗」へ出陣して陣を固めたら早々に知らせることと命じ、「異国の者はそんなに強くないと思って決して油断しないように」などと書かれ、日付とともに赤い朱印が押してあります。

これまで同じ日付で九州の黒田長政などに宛てた書状は見つかっていましたが、いずれも朱印の部分が漢字で書かれた「写し」で、赤い朱印がある実物が見つかったのは初めてだということです。

博物館の学芸員の長澤慎二さんは「見つけた際は驚きました。写しでは確認されていましたが実物は初めてなので貴重だと思います」と話していました。

朱印状は4月2日から21日まで、刈谷市歴史博物館で一般公開されます。

朱印状の内容と経緯

今回、刈谷市歴史博物館が確認した朱印状は、豊臣秀吉が、家臣で熊本城主だった加藤清正に朝鮮へ兵を出すことを命じたものでした。

朱印状は、縦21.5センチ、横125.5センチの大きさで、3月23日と日付が書かれ、そこに朱印が押されています。

内容は、まず、「戦国大名の対馬の宗義智や熊本南部の小西行長は交渉役として高麗、つまり朝鮮へ行かせたが、お前も朝鮮へ出陣し、陣を固めたら早々に知らせること」と清正に命じています。

さらに、「異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断はしないように」と忠告したうえで、「九州や四国、中国地方の大名にも朝鮮に兵を出すよう伝えている」などと記されています。

これについて、刈谷市歴史博物館の学芸員の長澤慎二さんは「油断しないように、と書いている部分は、秀吉が細かいところまで気をつけていたことを示していると思います」と話していました。

また、朱印状は、旧刈谷藩の藩士の子孫の家から博物館に寄贈されたものですが、なぜ熊本城主だった清正宛ての朱印状が遠く離れた刈谷で見つかったかについて、長澤さんは「加藤清正の家は息子の代で改易、おとりつぶしになって、書状などは散逸したが、刈谷藩の藩士の母方の先祖が清正に縁のある人で、朱印状を持って刈谷へ嫁いできたのではないか」と話していました。

そして、「発見した際はどうして、このようなものがあるのかと驚きましたが、いきさつなどをさらに調べて新しい発見などがないか、研究していきたい」と話していました。

情報源:秀吉から加藤清正へ 朝鮮出兵命じる朱印状発見 実物は初 愛知 | NHKニュース


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