ザ・デストロイヤー 死去

【訃報】ザ・デストロイヤー 死去 享年88歳

享年88歳


2019年3月8日 9時22分

「足四の字固め」を得意技に、力道山ら日本のトップレスラーと名勝負を繰り広げた覆面レスラー、ザ・デストロイヤーのリチャード・ベイヤーさんが7日、亡くなりました。88歳でした。

これは息子のカート・ベイヤーさんが自身のフェイスブックで明らかにしたほか、アメリカの複数のメディアが7日に伝えました。

ザ・デストロイヤー、本名リチャード・ベイヤーさんは、アメリカ・ニューヨーク州の出身で、覆面レスラーの先駆けとして昭和30年代から日本でも活躍しました。

そして相手の両足を数字の「4」に見えるように交差させる関節技、「足四の字固め」を得意技に、力道山やジャイアント馬場など当時の日本のトップレスラーと名勝負を繰り広げました。

昭和38年に対戦した力道山との試合では、テレビの平均視聴率で64%もの高い数字を記録しています。

またタレントとしても活躍し、バラエティー番組などではその明るいキャラクターでお茶の間の人気を集めました。

現役引退後は日米の親善交流にも積極的に取り組んできましたが、ここ数週間はホスピスで終末期のケアを受けていたということで、息子のカート・ベイヤーさんは7日、自身のフェイスブックで「父は自宅のベッドで子どもや妻に囲まれて穏やかに死を迎えた」と報告しました。88歳でした。

アメリカの複数のメディアは「日米で活躍したザ・デストロイヤーは日本人に愛され、親日家でもあった」と伝えています。

「ザ・デストロイヤー」のリチャード・ベイヤーさんはおととし、秋の叙勲で旭日双光章を受章していて、伝達式のあとに行われた記者会見では、東京オリンピックが行われる2020年に日本へ行きたいという意欲を示していました。

情報源:ザ・デストロイヤー 死去 | NHKニュース


2019年3月8日8時18分

63年5月、力道山(右)に4の字固めを決めるデストロイヤー
63年5月、力道山(右)に4の字固めを決めるデストロイヤー

力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなった。享年88歳。同日に複数の米メディアが報じた。元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告したもので「父のデストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。自宅で子どもたち、妻に囲まれながら平穏に去っていきました」などとつづった。デストロイヤーさんはここ数週間、病院のケアを受けていたという。

米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。特に同年5月24日、力道山とのWWAヘビー級王座は平均視聴率64%をマークした。

以後、ジャイアント馬場のライバルとして大きな注目を集め、またアントニオ猪木とも対戦している。73~79年には日本に在住し、全日本プロレスの所属選手として活躍。馬場やジャンボ鶴田とタッグを組み、ブッチャーやミル・マスカラスと対戦し、人気を博した。そのキャリアは約40年、日米合わせて8000試合以上におよんでいる。

また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、和田アキ子、徳光和夫アナウンサーとの掛け合いも人気を集めた。93年に現役を引退。たびたび来日し、17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた。

情報源:デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ – プロレス : 日刊スポーツ


ザ・デストロイヤーさん
ザ・デストロイヤーさん

日本でプロレスブームを巻き起こした立役者でもある覆面レスラーのザ・デストロイヤー(本名・リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)に亡くなったことが分かった。88歳。息子でプロレスラーのカート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで明かした。

カートさんはフェイスブックで「別名デストロイヤー、別名ドクターXの父が今日正午に亡くなりました。彼は自宅のベッドで妻や子供達、家族に囲まれて安らかに眠りにつきました」と報告。覆面を被った父が幼いカートさんにミニ覆面を被せている思い出の写真をアップした。

ザ・デストロイヤーさんは63年に初来日。力道山との試合で一躍注目を浴び、空前のプロレスブームの立役者の一人となった。代名詞は足4の字固め。その時のテレビ視聴率は平均64%を記録した。

その後もジャイアント馬場さん、アントニオ猪木らとも試合を行うなどして地位を確立した。

また親日家としても知られ、日本テレビ系人気バラエティ「金曜10時!うわさのチャンネル」にも出演。プロレスファン以外のファンにも支持された。

情報源:ザ・デストロイヤーさん死去 88歳 力道山と死闘(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:ザ・デストロイヤーさん死去 88歳 力道山と死闘/ファイト/デイリースポーツ online


2019.3.8 08:34

WWA世界選手権で力道山と対戦したザ・デストロイヤーさん=昭和38(1963)年5月24日、東京体育館
WWA世界選手権で力道山と対戦したザ・デストロイヤーさん=昭和38(1963)年5月24日、東京体育館

【ニューヨーク=上塚真由】覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」として日米で活躍したリチャード・ベイヤーさんが7日、米ニューヨーク州の自宅で死去した。88歳だった。ベイヤーさんの長男がソーシャルメディアを通じて公表した。

ベイヤーさんは1930年、米東部ニューヨーク州バファロー生まれ。シラキュース大大学院(教育学)を修了し、54年にプロレスデビュー。後に覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」となり、覆面レスラー初の世界王者となった。

2018年2月3日、米バファローでの外国人叙勲伝達式であいさつをする覆面姿のザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成撮影)
2018年2月3日、米バファローでの外国人叙勲伝達式であいさつをする覆面姿のザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成撮影)

63年に初来日し、力道山との対戦で必殺技の「四の字固め」を披露し、空前のプロレスブームを起こした。その後、日本プロレスと全日本プロレスで活躍。日本ではバラエティー番組にも出演し、テレビタレントとしても人気を集めた。

93年に武道館で引退試合を行った。日本で引退後は地元の同州アクロンで学校の体育教師や水泳、レスリングのコーチを務める一方、日米のスポーツ交流を推進。平成29(2017)年秋の外国人叙勲で旭日双光章を受章した。

2018年2月3日、米バファローでの外国人叙勲伝達式でポーズをとるザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成
2018年2月3日、米バファローでの外国人叙勲伝達式でポーズをとるザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成

ベイヤーさんは1970年代に家族とともに日本で生活。旭日双光章を受章した際の産経新聞のインタビューで日本への深い感謝の言葉を口にした。太平洋戦争当時は日本を敵視していたが、63年の初来日以降は「日本と恋に落ちた」とし、「日本人にはいつでも本当に良くしてもらった。日本で多くの経験ができて非常に幸せだった」と語った。

平成29年、旭日双光章の受章が決まった元プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名:リチャード・ジョン・ベイヤー)さん=2017年10月29日、米ニューヨーク州アクロンの自宅(上塚真由撮影)
平成29年、旭日双光章の受章が決まった元プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名:リチャード・ジョン・ベイヤー)さん=2017年10月29日、米ニューヨーク州アクロンの自宅(上塚真由撮影)

同州アクロンの自宅には和室を模した部屋を作り、日本人形や絵画など思い出の品を飾っていた。

覆面レスラーとしての誇りを持ち、インタビュー中も「日本人の前ではマスクは外さない」と素顔での写真撮影を断った。長男のカートさんによると、ベイヤーさんは7日正午すぎに家族に囲まれて自宅のベッドで息を引き取ったという。

情報源:覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」さん死去(産経新聞) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」さん死去 – 産経ニュース


2019/3/8 08:47

死去したリチャード・ベイヤーさん
死去したリチャード・ベイヤーさん

【ニューヨーク共同】覆面のプロレスラー「ザ・デストロイヤー」として日米で活躍したリチャード・ベイヤーさんが7日、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で死去した。88歳だった。息子のカートさんがフェイスブックで明らかにした。

1963年に初訪日。東京で行われた力道山との試合のテレビ中継は64%を記録するなど、日本に空前のプロレスブームを巻き起こした。

引退後は日米のスポーツ交流に貢献し、東日本大震災の被災者支援にも取り組んだ。

情報源:デストロイヤーさんが死去 覆面レスラー、日米で活躍(共同通信) – Yahoo!ニュースコメント

情報源:デストロイヤーさんが死去 覆面レスラー、日米で活躍 | 共同通信


ご冥福をお祈りいたします。


記事の有効期限: 2020年3月8日 Sunday 10:23am