【新井の伝言】<8>ファンの存在 震災後、開幕延期へ奔走 | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ

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東日本大震災の対応について、内閣府を訪れ話し合うプロ野球選手会会長の新井=左端(2011年3月22日)
東日本大震災の対応について、内閣府を訪れ話し合うプロ野球選手会会長の新井=左端(2011年3月22日)

乾いた打球音だけでなく、捕球音も響くほどの静寂だった。「無観客」の甲子園。「大歓声を受けてプレーできるのは、決して当たり前じゃない。ファンあってこそのプロ野球」。2011年春の練習試合を、新井貴浩は忘れることができない。

3月11日、東日本大震災が発生。東北地方をはじめ、各地が甚大な被害に見舞われた。スポーツイベントは相次いで中止。25日に開幕を控えたプロ野球は、オープン戦の多くが練習試合に切り替わった。

新井は当時、プロ野球選手会の会長を務めていた。楽天の選手から聞いた仙台市の状況には耳を疑った。「生活どころか、日々生きていくのもやっと。プロ野球の開催なんてとんでもない」。楽天が仙台市を本拠地とすることからパは開幕延期が決まった。ところが、セは予定通りに準備が進んだ。

この事実に耳を疑い「ちょっと待ってください」。12球団の足並みをそろえるよう直訴した。球団サイドは「予定通り行う責務」を主張。ある球団代表には怒声を浴びせられたという。新井は「何百年に一度の大災害が現実に起こり、まだ続いている」と時期尚早を懸命に説く。ユニホームで迎える開幕を巡り、スーツ姿で戦い続けた。

開幕日の決定は迷走した。余震が続く中、新井はコミッショナーらと関係省庁を訪ね歩いて対策を協議。「12球団一丸で難局に向かっていかないと。このままじゃプロ野球界は駄目になる」と、セ、パ両リーグの同時開幕にこだわる姿勢を貫いた。

政界も巻き込んだ議論は、プロ野球の国民的な関心の高さをあらためて示した。セは開幕延期を決め、4月12日にパと同時開幕。新井の熱意が実を結んだ。

「ファンあってこそ」―。静けさの中で淡々と回を重ねた、無観客の練習試合。冷めた空気の違和感が日常への感謝を呼び覚まし、選手会長の奮闘を支え続けた。(山本修)

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