【新井の伝言】<6>FAの苦悩 非難の声に表情崩さず | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ

ふむ・・・


ブーイングを浴び続けた阪神の新井(右)。左は一塁手の栗原健太(2008年4月1日)
ブーイングを浴び続けた阪神の新井(右)。左は一塁手の栗原健太(2008年4月1日)

「ごめんね…」。阪神の新井貴浩は、心の中でそう繰り返していたという。2008年4月1日、フリーエージェント(FA)移籍後、初めての広島市民球場。前年まで「カープの新井」に声援を送っていたファンのブーイングは容赦なかった。

かつての本拠地が敵地。三塁ベンチに座る違和感を、スタンドからの大音量が吹き飛ばした。「やじも罵声も覚悟はしていた。質も、大きさも想像をはるかに超えていた」。打席に立つたび、一塁守備でボールに触れるたびに非難の声を浴び続けた。

試合は阪神打線が序盤から猛攻。殺伐とした雰囲気が増す中で、新井の頭は冷静だった。広島市西区出身。赤い帽子をかぶって育ち、市民球場へ通った。カープに入団して9年間、三振しても、失策しても、厳しくも温かな声に励ましてもらった。

だからである。表情を崩すことなくプレーに集中した。「無理もない。もしも僕がスタンドにいたとしたら、きっと新井という選手にブーイングしている」と、飛び交う声を全身で受け止めた。

前年にFA権を取得。悩み、迷い、苦しんだ。「誰もが残された野球人生を考える時期。(残留か移籍か)選ばずに済むのなら楽かもしれない。最終的には自分で決めるしかないことだから」

広島の慰留条件は申し分なかったものの、当時は10年連続Bクラス。エース黒田博樹は米大リーグ挑戦への意向を示していた。球団と重ねた交渉で短期的な戦力補強がかなわないと知り、「涙のFA宣言」を選んだ。

移籍した阪神には、広島に入団した時から慕う金本知憲がいた。「また一緒に野球ができる」。これもまた、FA権によって揺さぶり起こされた本音である。3番新井、4番金本が打ちまくり、08年の阪神は夏場まで首位を独走。「勝ちたい」とカープを飛び出した新井は、10年目のプロ野球人生で初めて「勝負の秋」を迎える。=敬称略(山本修)

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