【新井の伝言】<4>4番の孤独 若き日の経験を鈴木へ | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ

ほぉ・・・


4番を外れたが、チームは勝ち、山本監督(左)とハイタッチをする新井(2003年7月12日)
4番を外れたが、チームは勝ち、山本監督(左)とハイタッチをする新井(2003年7月12日)

20年に及ぶ新井貴浩のプロ人生、5年目の2003年は初めての挫折感を味わった。着実な進歩が認められた26歳は、「開幕4番」の大看板を背負ってスタート。ど派手にずっこけた。

好機で凡打と三振を重ね、得点圏打率は1割台をさまよった。「夜寝るのが嫌だった。朝が来れば、また球場へ行かなきゃならない」。当然、チームは負けが込んだ。

7月10日の旧広島市民球場、やじを浴びせるファンとネット越しに激しく口論。翌日の練習前、監督の山本浩二に監督室へ呼ばれた。「苦しいか?」―。広島出身でカープの4番を打ち続けたミスター赤ヘル。その野太い声は優しさを帯びていた。

「苦しいです…」。そう答えるのが精いっぱい。あふれ出る涙が止まらなかった。温かい言葉が耳に残る。「おまえの苦しさはよく分かるよ。市民球場で試合するのが嫌やろ。わしにもそんな時期があったよ」。苦しさを誰よりも理解した上で、我慢の起用を続けてくれた指揮官は、新井を4番から外した。

「悔しかった。情けなかった。でも、正直ほっとした気持ちもあった」。過度な責任と重圧から解き放たれただけではない。降格。それを屈辱より、チーム浮上の可能性と受け止める自分がいた。

今、4番を打つ24歳の鈴木誠也に目を細める。今季は打率3割2分、30本塁打、94打点で打線を引っ張った。「頼もしいよね。自分が打って喜ぶだけじゃない。他の選手が打てば、もっと喜んでいる。続けていってほしい」

カープは球団史上初の3連覇を遂げた。赤ヘル打線はリーグ最高の得点力を誇り、新たな黄金期を迎えている。「周りが打てません。自分も打てません。チームが勝てません。そんな苦しい時がきっと来る」。若き日に思い知った「4番の孤独」を、鈴木には予備知識として伝えてある。=敬称略(山本修)

情報源:【新井の伝言】<4>4番の孤独 若き日の経験を鈴木へ | 広島東洋カープ | 中国新聞アルファ


ふむ・・・