「天正の地割り」で埋めた? 平安京跡から大規模な濠跡出土 – 産経WEST

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ビルに囲まれた調査地の一角から出土した巨大な濠跡。秀吉が地割りで埋めた可能性が高い=京都市中京区
ビルに囲まれた調査地の一角から出土した巨大な濠跡。秀吉が地割りで埋めた可能性が高い=京都市中京区

京都市中京区元法然寺町(錦小路烏丸東入ル)の平安京跡から、豊臣秀吉が16世紀末に京都で行った土地区画整理事業「天正の地割り」で埋められたとみられる濠(ほり)跡が出土し29日、民間調査団体「関西文化財調査会」が発表した。濠は「へ」の字に折れ曲がる特殊な形。調査地の町名から法然寺にかかわる遺構の可能性もあるという。現地説明会は9月1日午前11時から。

駐車場建設に伴い、平安京左京四条三坊十四町の約250平方メートルを調査。濠跡は幅が約4メートル、深さは最深部で約1・7メートルの逆台形。東西から北西に約120度屈曲していた。濠の底の両端からは橋脚の礎石のような石も出た。

濠に水が流れていたが底に泥はなく、常に清掃されていたらしい。完成時期は不明だが、出土した土器から16世紀末に一気に埋められたことが判明。このため同調査会は秀吉が天正18(1590)年に始めた地割りに伴い埋められた可能性が高いとみている。また濠の正確な用途は不明としながら、今に残る町名から法然寺の関連遺構の可能性も指摘している。

法然寺は鎌倉時代の武士で、のちに僧に転じた熊谷直実が建てたとされるが、秀吉が天正19年、南東約800メートルの寺町に移転させている。同調査会の吉川義彦代表は「京内の濠跡は条坊にのっとり直線で出るのが一般だけに、曲がった形で出るのは珍しい。法然寺につながる遺物がなく性格付けは難しいが、中世から近世にかけての町の変遷を知る貴重な遺構」と話している。

情報源:「天正の地割り」で埋めた? 平安京跡から大規模な濠跡出土 – 産経WEST


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