沖縄県 翁長知事 死去

翁長沖縄知事が死去 67歳 辺野古新基地反対を貫く

67歳、案外若かったんだな。


翁長知事
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沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だった。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。

翁長知事は1950年生まれ、那覇市出身。85年に那覇市議に初当選し2期、その後県議を2期、2000年から那覇市長を4期14年務めた。

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翁長雄志知事=那覇市の県庁で2018年7月27日、佐野格撮影
翁長雄志知事=那覇市の県庁で2018年7月27日、佐野格撮影

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対し、膵(すい)がんの治療を受けながら公務を続けてきた沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が8日、死去した。67歳。今年5月に膵がんであることを公表し、抗がん剤の投与などの治療を続けていたが、7日に容体が急変して意識が混濁していた。普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設に反対して2014年11月の知事選で初当選。辺野古移設への反対姿勢を貫き、7月27日に前知事による辺野古の埋め立て承認を撤回すると表明したばかりだった。

今年4月に人間ドックを受けた際に再検査を指示され、一時検査入院。膵臓に腫瘍が見つかり、4月21日に切除手術。5月15日に退院したが、膵がんでがんの進行を示すステージは2だったと公表。体調を見ながら知事公舎と県庁で公務を続けていたが、11月18日投開票の知事選への再選出馬は明言していなかった。

太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わった6月23日の「慰霊の日」の追悼式には出席し、平和宣言で「20年以上も前に合意した辺野古移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのか。日米両政府は計画を見直すべきではないか」と訴えた。

1950年、那覇市生まれ。父は真和志市(現在は那覇市)の市長などを、兄は沖縄県副知事などを務めた保守系の政治家一家に生まれ育った。法政大卒業後、那覇市議2期、県議2期。自民党沖縄県連幹事長などを歴任し、沖縄保守政治家のエース的な存在だった。2000年からは那覇市長となって4期務めた。

那覇市長時代の09年の鳩山民主党政権誕生を機に、沖縄の過重な基地負担への批判を強め、かつての辺野古移設容認から県外移設主張に転換。12年9月の米軍新型輸送機オスプレイの配備に反対する超党派の県民大会では共同代表に就き、13年1月には県内全41市町村の首長が署名した県内移設断念を求める建白書を政府に提出するなど、保守、革新が一つとなる「オール沖縄」をリードした。

14年11月の知事選に「オール沖縄」と呼ばれた保守共闘体制で出馬して移設反対を訴え、辺野古の埋め立てを承認した仲井真弘多知事(当時)を約10万票の大差で破って初当選した。就任後は一貫して移設阻止を掲げて「日本の地方自治や民主主義が問われている」と主張し、移設計画を進める政府と対立した。

15年9月にはスイス・ジュネーブでの国連人権理事会で登壇し、辺野古移設が日米両政府によって進められている現状を「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている状況を世界中から関心をもって見てほしい」と英語で訴えた。

15年10月に埋め立て承認を取り消したが、政府が法的な対抗措置を取るなどして法廷闘争に突入。16年12月に埋め立て承認取り消しは違法とする県側敗訴の最高裁判決が確定したため、承認取り消しを撤回した。

情報源:<訃報>沖縄県の翁長雄志知事が死去 辺野古移設に反対貫く(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

情報源:訃報:沖縄県の翁長雄志知事が死去 辺野古移設に反対貫く – 毎日新聞


沖縄県知事の翁長雄志(おなが・たけし)さんが8日午後、死去した。知事側近が明らかにした。67歳だった。

翁長知事は今年4月、人間ドックがきっかけで膵臓(すいぞう)に腫瘍が見付かったことを公表。同月、切除手術を受けた。浦添市内の病院を退院した5月15日に会見し、病理検査の結果、腫瘍は膵がんと診断されたことを自ら明らかにした。

同23日には、沖縄出身の歌手・安室奈美恵(40)への県民栄誉賞授与式に出席。再発や転移を押さえる治療を受けたため髪は抜け落ち、ほおもこけてやせ細っていたが、その姿を隠すこともなく、公務にまい進していた。

だが、7月27日に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、前知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に向け、手続きを始めると表明したのを最後に、ほとんど公の場に姿を見せず。8月5日には謝花喜一郎副知事が会見し、意識混濁の状態で入院していることを明らかにしていた。

75年3月に法大法学部を卒業した翁長知事は、85年8月に那覇市議に初当選。その後、沖縄県議(2期)、那覇市長(4期)を経て、2014年11月の県知事選に出馬。普天間飛行場の移設反対を訴え、当時の現職らを破り、初当選した。

今後は公職選挙法により、県議会議長の知事退職通知から50日以内に選挙が行われる。任期満了に伴う知事選は11月1日告示、同18日投開票が決まっていたが、前倒しされる。

情報源:翁長沖縄県知事死去 67歳 膵がん闘病 辺野古移設阻止掲げ、反対運動の象徴的存在(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

情報源:翁長沖縄県知事死去 67歳 膵がん闘病 辺野古移設阻止掲げ、反対運動の象徴的存在 : スポーツ報知


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設阻止を掲げ、反対運動の象徴的存在だった翁長雄志(おなが・たけし)知事が8日午後、死去した。翁長氏側近が明らかにした。膵がんで闘病中だった。67歳。那覇市出身。

4月に受けた人間ドックがきっかけで膵がんが判明した翁長氏は、切除手術を受け、病名を公表。5月の退院後は治療を受けながら、県議会や沖縄全戦没者追悼式への出席など公務を続けていた。7月下旬には、辺野古沖での埋め立て承認の撤回手続きを始める方針を表明した。

2014年11月に、移設の手続きを進めた仲井真弘多前知事を破って初当選した後は、一貫して政府に対決姿勢を取り続けた。11月には任期満了に伴う知事選が控えていたが、再選出馬への対応は明らかにしていなかった。後任を選ぶ知事選の結果が、移設の行方に影響を与えるのは必至だ。

翁長氏は那覇市生まれで会社役員を経て那覇市議や県議、那覇市長を歴任。1997年からは約3年間、自民党県連幹事長も務めた。

情報源:翁長雄志・沖縄県知事が死去 辺野古移設阻止訴え – 共同通信


沖縄県 翁長知事 死去
沖縄県 翁長知事 死去

沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設反対を訴えて国と激しく対立してきた沖縄県の翁長知事が、8日亡くなりました。67歳でした。

翁長知事は、那覇市出身で、那覇市議会議員や沖縄県議会議員を経て、平成12年から那覇市長を務めたあと、平成26年の県知事選挙に立候補し、保守系と革新系の勢力でつくる、いわゆる「オール沖縄」という勢力の支援を受けて、初当選しました。

そして、普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を最重要課題に掲げて、移設を進める国と激しく対立し、平成27年には、前知事による辺野古の埋め立て承認を取り消して国と県が法廷で争う異例の事態になりました。

おととし12月、最高裁判所が、埋め立て承認の取り消しは違法だとする判決を言い渡して県の敗訴が確定しましたが、その後も、翁長知事は、辺野古への移設阻止を訴え続け、先月には、前知事が行った埋め立て承認の撤回に向けた手続きを始めると表明していました。

翁長知事は、ことし4月にすい臓がんの手術を受け、治療を続けていましたが、先月30日に入院し、その後、急速に体調が悪化して、8日亡くなりました。

翁長知事の死去を受けて、職務代理者が県の選挙管理委員会に死去を通知した翌日から50日以内に県知事選挙が行われることになります。

情報源:沖縄県 翁長知事 死去 | NHKニュース


ご冥福をお祈りいたします。