森鴎外7歳の時の自筆資料公開へ 島根 津和野

森鴎外7歳の時の自筆資料公開へ 島根 津和野

ふむ・・・


明治から大正にかけて活躍した文豪、森鴎外が7歳の時に記した最古の自筆の資料が見つかり、ふるさとの島根県津和野町にある森鴎外記念館で公開されることになりました。

この資料は明治2年、鴎外が7歳の少年時代に、江戸時代の国学者、平田篤胤が記した子ども向けの国学入門書「童蒙入学門」を書き写したもので、縦24センチ、横17センチほどの大きさで、16ページあります。

森鴎外記念館によりますと、津和野藩の藩校、養老館に入学したばかりの鴎外が、楷書でひと文字ひと文字丁寧に書き写したものです。

鴎外のきちょうめんな性格が見て取れ幼少期の鴎外を研究するうえで貴重な資料だということです。

この写本は、研究者の間では存在が知られていたものの、50年近くの間、所在が不明となっていましたが、記念館が去年10月、森鴎外関連の資料の収集家から購入したコレクションに含まれていました。

森鴎外記念館では、このコレクションのうち鴎外自筆の写本や鴎外作品の初版本など主な資料12点を今月18日から9月24日まで展示することにしています。

情報源:森鴎外7歳の時の自筆資料公開へ 島根 津和野 | NHKニュース


鷗外の最古とみられる「童蒙入学門」の写本。左が7歳、右が15歳のときに書いた文字=島根県津和野町の森鷗外記念館
鷗外の最古とみられる「童蒙入学門」の写本。左が7歳、右が15歳のときに書いた文字=島根県津和野町の森鷗外記念館

文豪・森鷗外(1862~1922)が7歳のときに書き写した倫理・道徳の教科書「童蒙入学門(どうもうにゅうがくもん)」の写本が14日、島根県津和野町の町立森鷗外記念館で報道公開された。鷗外の自筆では現存する最も古いものとみられる。楷書で丁寧に書かれた漢字が並び、記念館は「幼いころから言われてきた鷗外の神童ぶりを裏付ける資料だ」と評価する。18日から記念館で初めて一般公開される。

森鷗外
森鷗外

記念館によると、鷗外は津和野藩主に仕えた医師の長男として現在の津和野町に生まれた。5歳で論語、6歳で孟子を学び、7歳から藩校の養老館に通った。

写本はB5判に近いサイズ。最後の17ページ目には、鷗外が7歳(数え年8歳)のときに写本をしたことを表す養老館教師の書き添えがあり、鷗外自身が15歳のときに写本の由来や表紙の題名を書き加えていた。

鷗外が数え年8歳(満7歳)で写本したことを、教師が「八歳 森五木童記」と書いていた=島根県津和野町の森鷗外記念館
鷗外が数え年8歳(満7歳)で写本したことを、教師が「八歳 森五木童記」と書いていた=島根県津和野町の森鷗外記念館

写本は1970年にあった古書入札会の目録に記載され、その存在は知られていたが、所在は不明だった。昨年7月、町は埼玉県所沢市の収集家(83)から、写本をはじめとする鷗外関係の資料約7500点を3千万円で購入した。

鷗外が7歳のときに書き写した「童蒙入学門」の写本。題名の文字は15歳のときに書かれた=島根県津和野町の森鷗外記念館
鷗外が7歳のときに書き写した「童蒙入学門」の写本。題名の文字は15歳のときに書かれた=島根県津和野町の森鷗外記念館

跡見学園理事長で、鷗外の研究者でもある山崎一穎(かずひで)館長は「7歳の子が最後まで丁寧に書いている。克己心の強い子だったのでしょう。鷗外が藩校でどのように勉強していたのかを知る貴重な資料だ」と話す。

写本などを公開する「新収蔵品展」は7月18日~9月24日、記念館(0856・72・3210)で開かれる予定。(礒部修作)

鷗外が7歳のときに書き写した「童蒙入学門」の写本=島根県津和野町の森鷗外記念館
鷗外が7歳のときに書き写した「童蒙入学門」の写本=島根県津和野町の森鷗外記念館

情報源:7歳の森鴎外が書いた写本、島根で公開 「神童裏付け」(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

情報源:7歳の森鴎外が書いた写本、島根で公開 「神童裏付け」:朝日新聞デジタル



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