【関西の議論】日本の宝は国産で守る…中国産「漆」に待った 発祥の地、奈良・曽爾村の挑戦 (1/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)

「磁器」はチャイナ、「漆器」はジャパンなんていうからな・・・


奈良時代に漆(うるし)の生産拠点「漆部造(ぬりべのみやつこ)」が置かれ、「漆発祥の地」とされる奈良県曽爾(そに)村が、長年廃れていた村産漆の復興に取り組んでいる。古くから塗料や接着剤など多様な用途に使われ、英語で「japan」と訳されるほど日本を象徴する素材の漆だが、実は現在国内で使う97%が中国などからの輸入。国宝や重要文化財建造物の修復にすら外国産漆を使わざるを得ない現状に、「日本の宝は日本の素材で守る」と、発祥の地の誇りを胸に立ち上がった。(田中佐和)

漆を採取したあとの木。木の幹を傷つけて樹液を採取する=平成30年4月17日、奈良県曽爾村
漆を採取したあとの木。木の幹を傷つけて樹液を採取する=平成30年4月17日、奈良県曽爾村

漆文化の発信拠点完成

奈良市から車で約1時間半。三重との県境に位置する曽爾村で5月25日、ものづくり工房「漆復興拠点ねんりん舎 Urushi Base Soni」の完成式典が行われていた。

20年間空き家だった古民家を改修して作られた同施設は、県内外の漆作家らが活用するシェア工房であるとともに、観光客向けの漆製品の展示やカフェスペースを設けた、漆文化の発信拠点にもなっている。

村産漆の復活に取り組み始めて13年。式典で芝田秀数村長は、「文化の復興、継承には若い力が必要。この工房がそのための場所となるよう、村を挙げて取り組む」と高らかに宣言した。

職人が住んだ漆部郷

人口約1500人の小さな村、曽爾村は「ぬるべの郷(さと)」の愛称で親しまれる。「ぬるべ」は「漆部」と書き、漆塗り職人を指す。ここは漆が多く自生する土地として、奈良~平安時代に朝廷に献上する漆や漆器の生産拠点「漆部造」が置かれた、漆発祥の地とされている。

鎌倉初期までに成立した辞典「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」には、漆部造設置にいたる漆塗りの起源が、こんな伝承で紹介されている。

《倭武皇子(ヤマトタケルノミコ)が山で狩りをしていたとき、獲物に矢を射たがとどめを刺すことができなかった。それならばと、漆の木を折って木汁を矢先に塗り込めて再び射ると、見事仕留めることができた。手が黒く染まっていることに気付いた皇子が持っていた品物に木汁を塗ると、黒い光沢を放って美しく染まった》

曽爾村は他にもさまざまな時代の文献で「漆部郷」の名で登場するが、時代とともに漆塗りの文化は廃れ、いつしか職人もゼロに。戦後はスギやヒノキの植樹のために大量の漆が伐採され、村には「ぬるべの郷」という名前だけが残った。

地方創生の起爆剤

そうした中、「漆部郷の誇りを取り戻そう」と立ち上がったのが、村の塩井地区(約50世帯)の住民だ。深刻な過疎化を前に、漆という歴史資源を地方創生の起爆剤にしたいとの思いからだった。

平成17年には地区有志で「漆ぬるべ会」を創設。県外の漆専門家の指導を仰ぎながら、地区にかろうじて残っていた11本の原木の根を分ける方法で、植樹を始めた。

だが、土が合わなかったり、シカに食べられたりとなかなかうまく育たない。「漆はかぶれる」と嫌われ、住民の理解を得ることも簡単ではなかった。

道のりは平坦(へいたん)ではなかったが、これまでに千本を超える植樹を行い、どうにか200本程度が残った。同会の松本喬(たかし)会長(70)は、「数え切れない失敗を繰り返して、最近やっと漆に適した土地の条件が分かってきた」と話す。

28年、ついに漆の採取作業「漆掻き」をスタート。昨春には地域おこし協力隊の並木美佳さん(29)がメンバーに加わり、若い力で活動が本格化した。

漆掻きは木の幹を刃物で傷つけ、木がその傷を癒そうとして自ら出す樹液を採取する地道な作業で、これまでに採取できたのは約800cc(牛乳瓶約4本分)。ごく少量とはいえ、念願だった村産漆であることは紛れもない事実だ。

不安定な足場の上で行われる漆の採取作業=昨年9月、奈良県曽爾村(漆ぬるべ会提供)
不安定な足場の上で行われる漆の採取作業=昨年9月、奈良県曽爾村(漆ぬるべ会提供)

輸入97%、増産急務

村が漆の復興にこだわるのには、もう一つの理由がある。国産漆の減少だ。

化学塗料や安価な外国産に押され、漆は生産量が激減。農林水産省の統計では、28年の国内消費量約44トンのうち、国産は約1.2トン。97%が中国などからの輸入に頼っている。

国産漆の減少は、国宝や重文建造物の保存修理にも大きな影響を及ぼす。文化庁によると、国産だけでは足りず、昭和50年代ごろから、やむを得ず中国産漆を混ぜて使ってきたという。

だが、文化庁は「文化財は本来の資材・工法で修理することが文化を継承する上で重要」との方針を打ち出し、平成27年には「国宝・重文建造物の保存修理には100%国産漆を使うことを目指す」と発表した。そのためには長期的に年間平均2.2トンが必要と推計されており、増産が急務となっている。

継続的な植樹必要

「日本の宝物は日本の素材で守るべき。素材がないと伝統技術も失われる。そこに危機感を持っている」と並木さんは言う。

漆は成木になるまで10~15年かかる上、一度漆を採取した木は切り倒してしまう。そのため、国産漆の安定的な生産には、今より地域を拡大して植樹活動を続ける必要がある。

現在活動している同会員は地区の約20人。なんとか村の取り組みや村産漆の存在を県内外にPRしようと、村では紅葉した柿の葉に村産漆を塗った漆器「葉の器」を製作。新たな特産品として売り出している。

松本会長は、「今はまだ塩井地区の小さな取り組みだが、村全体や近隣市町村を巻き込み、国産漆の復興を支えたい」と強い決意をにじませた。

情報源:【関西の議論】日本の宝は国産で守る…中国産「漆」に待った 発祥の地、奈良・曽爾村の挑戦 (1/4ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)


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