(大志 藤井聡太のいる時代)成長編:7 師匠の心に焼き付いた「焦点の▲7二銀」:朝日新聞デジタル

ふむ・・・


▲9五角△7一香から▲7二銀と「焦点の銀」を打った局面
▲9五角△7一香から▲7二銀と「焦点の銀」を打った局面

2010年3月7日。高校生棋士の藤井聡太(そうた)七段(15)がまだ小学1年生だったころ、名古屋市内で日本将棋連盟が開く「東海研修会」で、のちに師匠となる杉本昌隆七段(49)と初めて出会った。

杉本が強烈に覚えているのは、参加していた少年少女の中で、ひときわ小さかった聡太の姿、そして、その時の聡太の言葉だ。「この歩を打たないと、この将棋は(自分に)勝ちが無いから」。将棋を指し終えた後、対局を振り返る「感想戦(かんそうせん)」で、聡太が対戦相手に自分の考えを伝えていた。

杉本は、そのときの状況を振り返る。「藤井の玉の近くに、相手の歩が迫ってましてね。それに対し、普通は、一マス空けて自分の歩を打って受けるところを、藤井は相手の歩が利いているマス目(相手の歩の前)に自分の歩を打つ、『顔面受け』のようなことをやったわけです」

7歳の聡太が暗に「普通ならこうやるというセオリーは承知しています。でも、勝負手として、ひねった手を選びました」と言っているわけだ。

もう一つ、杉本の心に焼き付いた局面がある。8歳となった聡太が、現在は女流棋士となった中澤沙耶(なかざわさや)(22)と対局したときの手で、相手の飛車金銀香が利いている地点に打ち捨てた「焦点の▲7二銀」だ=図。

対局後の感想戦の変化手順の中で、聡太が指摘した絶妙手だ。たまたま眺めていた杉本は「身震いが止まらなかった」。この銀を相手は飛車、金、銀、香車、いずれでも取れるが、どれで取っても先手の鮮やかな攻めが続く。選ばれた才能の持ち主にしか指せない、杉本はそう悟ったからだ。

「このときから藤井の将棋は欠かさず見るようにした」と杉本。「あまりに感動したので、この図面を書き留めて、ことあるごとに他の棋士に見せた」。その言葉から、聡太の輝く才能に気付いた杉本の喜びが伝わってきた。=敬称略

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情報源:(大志 藤井聡太のいる時代)成長編:7 師匠の心に焼き付いた「焦点の▲7二銀」:朝日新聞デジタル


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