なぜ加藤一二三は63年間もプロ棋士界で勝負を続けられたのか | 要約の達人 from flier | ダイヤモンド・オンライン

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「ひふみん」の愛称で有名な加藤一二三は、元祖天才中学生棋士だ。14歳でプロになり、将棋の世界では最高である順位戦リーグA級八段に、最年少の18歳3カ月で昇段した。以来、63年間、プロ棋士界で勝負を続けてきた。そんな加藤棋士が天職についての考え方や将棋に向かい合ってきた姿勢などについて語ったのが本書である。

加藤一二三自身が「天才」と認める棋士2人は、故・大山康晴十五世名人と史上初の永世七冠を達成した羽生善治棋士だ!(写真撮影:松沢雅彦)
加藤一二三自身が「天才」と認める棋士2人は、故・大山康晴十五世名人と史上初の永世七冠を達成した羽生善治棋士だ!(写真撮影:松沢雅彦)

要約者レビュー

天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生
天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生
加藤一二三、 208ページ、日本実業出版社、1300円(税別)

「ひふみん」の愛称で知られている加藤一二三は、元祖天才中学生棋士だ。14歳でプロになり、将棋の世界では最高である順位戦リーグA級八段に、最年少の18歳3カ月で昇段した。「神武以来(じんむこのかた)の天才」と呼ばれたが、これは、初代の天皇である神武天皇の世以来、最高の天才という誉め言葉だ。加藤は、2017年6月20日に引退。わずか150名程度しかいない将棋のプロの世界で、63年間の現役生活を続けたことを振り返り、挑戦の歴史であったと言う。「天才」と「挑戦」をテーマとして書かれたのが本書『天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生』だ。

本書では、プロ棋士として最後の挑戦となった対局をはじめ、棋士人生の中でも思い出深い対局や、対戦した棋士の印象についても、率直に語られている。大山康晴棋士、羽生善治棋士、さらに藤井聡太棋士らについての考察は、将棋ファンなら垂涎の内容である。また、長い現役生活を送ってきた加藤ならではの、天職についての考え方や将棋に向かい合ってきた姿勢は、多くの方々の心に響くことだろう。

キリスト教徒である加藤は、聖書から学んだ教えも本書の随所に盛り込んでいる。そうした箇所を読むと、生き方や人生への挑戦について考えさせられる。将棋に詳しくない人も十分に楽しめるように配慮されており、困難にぶつかった局面での考え方や思考法を学べる一冊である。 (河原レイカ)

本書の要点

(1)「天才」と呼ばれた加藤一二三は、これまでの棋士人生を「挑戦の歴史」と位置づけている。加藤は1982(昭和57)年に名人位に就き、引退まで63年間戦いつづけた。
(2) キリスト教徒である加藤は、旧約聖書の言葉に、将棋に通じる心構えを見つけた。「勇気を持って戦うこと」「相手の面前で弱気を出さないこと」「あわてないこと」「落ち着くこと」という4つの心構えを支えに戦った。
(3)加藤が棋士を自分の天職だと確信したのは、自身も感動するような対局を経験し、その名局で人々に感動を与えられるのではと思うようになったときだ。

要約本文

◆最後まで挑戦し続けた棋士人生

◇「天才」棋士の条件

「天才」と呼ばれた加藤一二三自身が、「天才」と認める棋士2人がいる。1人はすでに他界している故・大山康晴十五世名人。もう1人は現役の羽生善治二冠(2017年9月時点)だ。

「天才」棋士には3つの条件があるという。1つ目は、未知の局面でも瞬時に100点の手を思いつき、早指しをものともしない。同時に、長考を経てさらに良い手を見出すことができる。無から有を生み出し、後輩たちが続いていく道をつくり出す力があることである。2つ目は、長期間活躍し、驚異的な勝利数や新記録を次々と作り出すこと。3つ目は、挫折や劣等感がほとんどない、もしくは周りからは感じられないことを挙げている。

◇最終対局

加藤自身も、まさしく前述の条件を満たす「天才」棋士であったが、長い現役生活の末に引退の日はやってきた。負ければ引退が決まる対局は、2017年6月20日に予定されていた。事前にマスコミ各社に、この日の対局では記者会見をしないことを伝えた。63年間の棋士人生の中で、加藤は一度も負けた場合のことを考えたことがない。そのため、この日についても、負けた場合の対応は全く考えないと決めていた。

しかし、対局が始まり、やがて必至(必ず負けてしまう状況)になった。報道陣は詰めかけていたが、まずは長年苦楽を共にした妻に感謝すべく、加藤は報道陣を避けて自宅に帰宅した。

引退が決まった対局の翌日、加藤は棋聖戦で飯島栄治七段と対局して勝利し、最高齢勝利記録を達成した。引退は将棋界の制度によるが、それがなければずっと戦い続けていただろうと加藤は語る。スポーツの一流選手は「体力の限界を感じて引退します」などという人が多いが、加藤は「制度によって引退しました」と言っている。

◇戦い続けた記録

将棋界には名人を決める、総当たりの順位戦がある。全棋士はA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の各リーグに所属し、戦績によって昇降級する。A級優勝者が名人位に挑戦することになる。そして、C級2組に所属する者は、リーグの勝敗次第で引退する決まりになっている。

加藤は昭和57年に名人位に就いた。その後、A級からC級2組に降りてくるまでに50数年かかっている。それを、自ら「一歩一歩着実に挑戦を続けながら降りてきた」と述べる。B級1組からA級に上がったことが5回あり、最初の昇段を除くと4回の復帰を果たしたことになる。14歳から77歳まで、全棋士中1位の対局数となる、2505局もの対局を戦った。A級在位は36期で、これは大山康晴棋士に続く、2番目の記録である。

【必読ポイント!】

◆勝負の心構え

◇旧約聖書の言葉

名人戦の決戦前夜、キリスト教の信者である加藤は、枕元で旧約聖書をパラパラとめくっていた。そのとき、「戦うときは勇気をもって戦え、敵の面前で弱気を出してはいけない、あわてないで落ち着いてことを進めろ」という言葉を見つけた。旧約聖書はイスラエル民族の歴史の書でもある。当時の宗教の指導者は、この言葉で敵に対峙する兵士を励ましたのだろう。

この言葉にある「勇気を持って戦うこと」「相手の面前で弱気を出さないこと」「あわてないこと」「落ち着くこと」の4つは、将棋の心構えに通じる。この言葉を何度も心の中で唱え、見事に名人位を獲ることができた。

◇将棋の研究方法

加藤の場合、将棋の勉強・研究方法は、63年間ほとんど変わらなかったが、対局時の過ごし方はその時々で異なっていた。1963(昭和38)年、24歳くらいのときは、対局前に銀座の書店に行って、第二次世界大戦時のイギリスの首相であるウィンストン・チャーチルの『第二次大戦回顧録』(毎日新聞社)を購入した。対局前に自分のテンションを上げるために買い、それを読むことにして、あまり将棋の研究はしなかった。

名人戦のときは42歳だったが、対局の前の日は好きな音楽を聴いて、美味しいものを家で食べて、聖書を読んだり、教会へ行って祈ったりしていた。将棋の研究は1日2~3時間程度にした。

一方、対局が終わると、その将棋については5時間ほど研究をした。対局前より対局後の研究時間が長かった。これは、次の対局につなげるためのもので、不明な事柄を解決したり、負けた場合はどこがおかしかったのか、岐路で何を間違えたのかというふうに敗因の研究や探求をしたりする習慣があった。対局後の反省に相当時間をかけたため、そのぶんスッキリして、後に引きずらなかったという。

◇忘れられない対局

加藤は、思い出深い対戦のひとつとして、昭和57年に戦った中原誠棋士との名人戦を挙げている。当時の中原は名人戦9連覇中の絶対王者だった。中原との戦いは、持将棋(じしょうぎ:引き分け)が一局、千日手(せんにちて:同一局面が4回現れたとき、指し直しとなる)二局を含み、全十局にわたる死闘となった。大熱戦の末、加藤はついに名人となった。

中原との対戦の最終局、加藤は「絶対に勝てない」と思った。進退窮すと実際に思ったのは、そのときが初めてだったが、もう一度盤面を見たとき、勝つ手があることに気がつき、「あっ、そうか!」と思わず叫んだそうだ。結果、中原が必勝だった対局を逆転し、名人位を獲得できた。これはもはや、自力ではなく神様のお恵みだったと加藤は語る。

◇棋士たちの印象

大山康晴棋士は、追い込まれたときに気持ちが前に出る将棋を指す。劣勢であったり、五番勝負で先に二敗しているようなときであったりしても、勝ち負けを心配せず、澄み切った心境で指していることに、加藤は感動したという。大山は、良くない状況から打って変わって攻勢に出るような切り替えが得意で、そして本当に勝ってしまうのだ。

羽生善治棋士の特徴について、加藤は、天才であることに加えて、将棋の研究をたくさんしている点を挙げている。羽生は先行逃げ切りの完勝型でありながら、逆転勝ちも多い。大山ともまた別のタイプで、どうみても勝ち目のない状況の中から、勝ちにつながる細い細い道を嗅ぎ分ける嗅覚がものすごいのだという。

また、羽生の将棋は好戦的で、相手との駒のやりとりを3回、5回と続けていくことが好きだ。そのやりとりの結果としてリードできなくても互角であれば十分で、互角の局面なら勝てるという自信が垣間見える。

◆プロとして本物を求め続ける

◇棋士が天職

加藤が棋士を自分の天職だと確信したのは、自分の指した将棋が人々に感動を与えられるような名局になったときだ。自身も感動するような対局を経験してから、他者にも同じような体験をしてもらえるのではと思うようになった。

自分の指した名局が、後輩棋士の研究の役に立ち、ファンやアマチュアの人にも楽しめるものとなる。そのようにして、時が経っても人々の喜びにつながればこそ、将棋が天職なのだと思うという。

ただ、将棋の素晴らしさはアマチュアには伝わりにくい性質でもある。それで、加藤は自戦記を書いている。他人がいくら研究しても本人にしか分からないことがあるため、戦った本人が自戦記を書くのがよい。

将棋の素晴らしさを伝えるためには、本の出版に限らず、懇切丁寧にプロセスの面白さを伝えていくことが大事だ。音楽なら解説は要らないが、将棋には手のすごさを伝えるための解説が必要なのである。

◇「無心の直感」が成功する

将棋の指し手は10の220乗も存在するといわれている。いくら研究しても、すべての手を読み切ることは難しい。

将棋は理詰めであるため、プロの棋士は盤面を見た瞬間に、検討する価値のある手を5通りくらい思いつくという。そしてどんな場面でも95%くらいは一番良い手が浮かんでくる。達人は、この「ひらめいた手」を検証し、確かにこの直感の手が一番いいという確認作業をしているのだ。

この直感の手と、後から考えている中で浮かんできた手と甲乙つけがたいときは、どうするか。そのときは、最初にひらめいた直感の手を選択する。そして、成功しているという。ひらめいた手は無心で考えたものだ。対して、後から考えると、そちらに惚れてしまって都合よく読んでしまう傾向が人間にはある。それで加藤は、直感で浮かんだ手をよく精読し、裏づけを持って指すべしという意味で「直感精読」と色紙によく書くという。

◆生涯、挑み続ける

◇クラシックと将棋の共通点

加藤の趣味の一つはクラシック音楽だが、本格的に聴くようになったのは、前述の中原誠棋士との名人戦のときからである。名人戦の対局は1週間から10日程度の合間を置いて戦う。このため合間の時間の過ごし方が大切で、そのときにモーツァルトのレクイエム、バッハのマタイ受難曲などを聴くようになった。

加藤は、クラシックの名曲と将棋の対局にはいくつもの共通点があるという。クラシックは一瞬一瞬にメロディが発展していく。将棋も一手ごとに盤面が変わっていく。その変化の面白さが共通点の一つだ。演奏の緊張感も、対局の緊張感に通じるという。

音楽の趣味が高じて、オーケストラの指揮を経験し、歌手デビューも果たしており、これからもさまざまなことに挑戦したいという。

◇年齢の離れた棋士と対戦できる喜び

将棋の素晴らしい点の一つとして、年齢の離れた相手とも対戦できる点がある。加藤は、2016年12月24日、藤井聡太四段のプロデビュー戦を戦った。藤井は14歳2カ月でプロになり、加藤の最年少記録(14歳7カ月)を抜いている。この点について、「悔しくありませんか?」と質問されることがあるが、加藤は、まったく思わないと答えているそうだ。

自身が引退する直前に、藤井が出てきたことは朗報であり、将棋界がにぎやかになった。藤井の29連勝は、多くの人の想像を超えたもので、高く評価している。

◇家族への感謝とこれからの人生

加藤は、私生活では4人の子どもに恵まれた。子どもの宿題にも本気で取り組み、たとえば、国語の宿題で言葉の意味を調べるときは、新聞社に電話をして聞いてみた。サトウキビの栽培について調べるときは沖縄の市役所に電話をして教えてもらった。クリスマスやお正月などの伝統行事も家族でお祝いするようにしている。

長年の棋士生活を支えてくれた妻には深く感謝しているという。妻が「あなたはいい棋士だからいい将棋を指さないといけない」と言ってくれたことが励みになり、戦ってこられた。

キリスト教には、「人が道を歩くときに2つの目をちゃんと見開いていると、しっかりした人生を歩めます」という教えがある。「2つの目を見開いて」というのは、理性を大事にし、同時に神様のお恵みのような奇跡も大事にする、ということだ。自力だけでなく、理屈でわからないお恵みのような奇跡も大切に、加藤は人生を長く、喜んで進んでいきたいと考えている。

一読のすすめ

加藤一二三は名人位も獲得した天才棋士だが、最近はテレビのバラエティ番組などでも活躍し、活動の幅をますます広げている。改めてその姿を見て、存在が気になっている方も多いのではないだろうか。

要約では紹介できなかったが、本書には、名勝負の対局について図入りで解説もなされている。ぜひそうしたところからも将棋のおもしろさを味わってみてほしい。加藤の人柄がにじみ出る文章で、人生を前向きに生きるヒントが盛り込まれている一冊でもあるので、気軽に手にとってみていただければと思う。

著者情報

加藤一二三(かとう・ひふみ)

1940年1月1日福岡県嘉麻市生まれ。将棋棋士。九段。第40期名人。仙台白百合女子大学客員教授。

2017年6月20日、77歳で引退した現役最年長棋士(当時)。現役期間は最長不倒の63年。1954年、14歳で当時史上最年少の中学生プロ棋士となる。

この記録は藤井四段に破られるまでは62年間ずっと破られていなかった。元祖天才中学生棋士。「神武以来(じんむこのかた)の天才」と呼ばれる。居飛車の本格派として妥協のない棋風に特徴がある。1958年、史上最速でプロ棋士最高峰のA級八段に昇段。1982年、名人位に就く。タイトル獲得は名人1期、棋王2期など通算8期、棋戦優勝23回。公式戦対局数は2505局で歴代1位。勝ち数は大山康晴十五世名人、羽生善治二冠(2017年9月現在)に続いて1324勝で3位、負け数は1180敗で歴代1位(残り1局は持将棋=引き分け)。

敬虔なキリスト教信者(カトリック)としても知られ、1986年、ローマ法王から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章。2000年、紫綬褒章を受章。バラエティ番組にも出演し、「ひふみん」の愛称でお茶の間の人気者になっている。2017年9月、アーティスト名大天才ひふみんとして「ひふみんアイ」で歌手デビューを果たした。

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