衣笠祥雄さん 死去 元広島の「鉄人」

衣笠祥雄氏が死去 2215試合連続出場の「鉄人」

享年71歳・・・


プロ野球、広島で当時、大リーグを超える連続試合出場の記録をつくって「鉄人」と呼ばれ、球界で2人目となる国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄さんが亡くなりました。71歳でした。

衣笠さんは京都府出身で、昭和40年に平安高校から広島に入団し、強打の内野手として昭和50年の球団創設初優勝に貢献するなど、チームの中心選手として活躍しました。

衣笠さんは昭和50年の秋から連続試合出場を続け、デッドボールで骨折しながらも試合への出場を続けたことなどから「鉄人」と呼ばれ、昭和62年には大リーグのヤンキースで活躍したルー・ゲーリッグさんの持っていた当時の大リーグ記録、2130試合を更新して球界で2人目となる国民栄誉賞を受賞しました。

そしてこの年、記録を2215試合に伸ばして引退し、プロ20年間で2543安打、504本のホームランをマーク、チームの5回のリーグ優勝と3回の日本一に貢献しました。

衣笠さんの連続出場記録は平成10年、大リーグのオリオールズでプレーしたカル・リプケンさんに抜かれましたが、現在もプロ野球記録になっています。

引退後は解説者を務め、明るく気さくな人柄で野球ファンに親しまれ、平成8年に野球殿堂入りしていました。

広島市民からは悲しみの声

衣笠祥雄さんが亡くなったことについて、衣笠さんがかつてプレーしたプロ野球 広島の本拠地がある広島市では、早すぎる死を悼む声が聞かれました。

このうち、広島市の男性は「非常に寂しいです。連続試合出場の記録が非常に印象に残っています。『やすらかにお眠りください』と伝えたいです」と話していました。

また、広島市の男性は「広島の1つの時代をつくった人が亡くなり寂しいです。われわれの年代では、衣笠さんが山本浩二さんと並んでヒーローでした。ハッスルプレーやフルスイングが格好よかったです。一度広島の監督をやってもらいたかったです」と話していました。

さらに、広島市の女性は「驚いてなにも言葉が出ないです。人間的に誰にでも好かれる方と聞いていました。活躍し、皆さんに元気を与えてくれました。ご冥福をお祈りします」と話していました。

情報源:衣笠祥雄さん 死去 元広島の「鉄人」 | NHKニュース


元広島の衣笠祥雄氏が死去した。死因は大腸がん。71歳だった。

2215試合フルイニング出場の記録を持ち「鉄人」として親しまれた。87年にはプロ野球界2人目となる国民栄誉賞も受賞した。19日に横浜スタジアムで行われたDeNA-巨人でTBSの解説を務めたのが、公の場に姿を現した最後になってしまった。

衣笠祥雄氏(1986年撮影)
衣笠祥雄氏(1986年撮影)

情報源:“鉄人”衣笠祥雄氏が大腸がん死去、19日まで仕事(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース

情報源:衣笠祥雄氏が死去 2215試合連続出場の「鉄人」 – プロ野球 : 日刊スポーツ


衣笠祥雄氏=2017年3月撮影
衣笠祥雄氏=2017年3月撮影

広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が死去したことが24日、関係者の話で分かった。71歳。京都府出身。

衣笠さんは、1965年に広島に入団し、68年から一軍に定着。1987年、40歳の時に、米大リーグ、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の持つ、2130試合連続試合出場を48年ぶりに塗り替える、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成した。

1987年6月、試合終了後、「2131」を記した花輪を手に観客の祝福に応える衣笠祥雄選手
1987年6月、試合終了後、「2131」を記した花輪を手に観客の祝福に応える衣笠祥雄選手

連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位など、数々の記録を打ち立て、87年9月21日に現役引退を表明。その際「可能性を求めて野球を続けてきたが、走、攻、守の三拍子そろった野球ができなくなった。カープは守備のチーム。自分が納得できる守備ができなくなっては、これ以上プレーすることは耐えられない」と、声を詰まらせながら現役との別れを告げた。

引退後は野球解説者として活動。1996年には野球殿堂入りも果たした。

1987年6月、国民栄誉賞表彰式で、中曽根首相と一緒にカメラマンの注文に応じる衣笠祥雄選手(中央)。左は正子夫人
1987年6月、国民栄誉賞表彰式で、中曽根首相と一緒にカメラマンの注文に応じる衣笠祥雄選手(中央)。左は正子夫人

今月19日の「DeNA・巨人戦」では、試合を中継したBS−TBSで解説を担当したばかり。しかし、声がかすれ、聞き取れない時もあったとして、インターネット上では心配の声が上がっていた。

情報源:“鉄人”衣笠祥雄氏が死去 71歳 広島で2215試合連続出場(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:“鉄人”衣笠祥雄氏が死去 71歳 2215試合連続出場― スポニチ Sponichi Annex 野球


17年02月25日、キャンプ地を訪問した 衣笠氏(中)と緒方監督(左)
17年02月25日、キャンプ地を訪問した 衣笠氏(中)と緒方監督(左)

プロ野球広島の中軸打者として活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が死去したことが24日、分かった。71歳だった。

衣笠氏は1947年1月18日、京都市生まれ。平安高で「4番・捕手」として64年に甲子園春夏連続出場を果たし、65年広島入団。内野手に転向し、68年からレギュラー。70年10月19日から87年の引退まで2215試合連続出場、17年連続全試合出場を達成し、計5度の優勝に貢献した。

76年に盗塁王、84年にMVPと打点王を獲得。87年に国民栄誉賞に輝き、96年に野球殿堂入りした。現役時代は通算2677試合で2543安打、打率2割7分、504本塁打、1448打点だった。右投右打。

衣笠氏は19日にBS―TBSで放送されたDeNA・巨人戦で解説を行ったが、声がかすれていて心配する声が視聴者から上がっていた。

情報源:衣笠祥雄氏が死去 71歳 「鉄人」2215試合連続出場(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

情報源:衣笠祥雄氏が死去 71歳 「鉄人」2215試合連続出場 : スポーツ報知


衣笠祥雄氏
衣笠祥雄氏

元プロ野球広島で、“鉄人”の異名を持つ衣笠祥雄氏が亡くなったことが24日、分かった。71歳だった。

衣笠氏は京都府出身。平安高校(現・龍谷大平安)から1965年に広島に入団。1987年6月13日の中日戦(広島市民)で、当時ルー・ゲーリックが持っていた連続試合出場の世界記録を更新する、2131試合出場を達成。“鉄人”の愛称で親しまれ、引退するまでその記録を2215試合まで伸ばした。2215試合連続出場は歴代日本1位で、世界でも歴代2位の大偉業。

ルー・ゲーリッグの連続試合出場を抜き世界新記録を達成した衣笠祥雄=1987年6月13日
ルー・ゲーリッグの連続試合出場を抜き世界新記録を達成した衣笠祥雄=1987年6月13日

“ミスター赤ヘル”山本浩二氏とにも1975年の初優勝に貢献するなど主軸として赤ヘル打線をけん引。80年代のカープ黄金期を築き上げた。87年の引退後は、これまでの功績が称えられ背番号「3」は永久欠番とされた。また、同年には王貞治氏に次いでプロ野球選手として2人目となる国民栄誉賞を受賞した。

通算成績は2677試合、2543安打、504本塁打、1448打点、266盗塁、打率・270

MVP1度、打点王1度、盗塁王1度、ベストナイン3度、ゴールデングラブ3度。

情報源:鉄人・衣笠祥雄氏が死去 71歳 連続試合出場記録、国民栄誉賞も(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

情報源:鉄人・衣笠祥雄氏が死去 71歳 連続試合出場記録、国民栄誉賞も/野球/デイリースポーツ online


衣笠祥雄氏(1986年撮影)
衣笠祥雄氏(1986年撮影)

衣笠祥雄氏の略歴は以下の通り。

◆衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏 1947年(昭22)1月18日、京都府出身。平安(現龍谷大平安)で3年時に捕手として春夏連続甲子園出場。

65年広島に入団し内野手転向。70~87年にルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の持つ連続試合出場の世界記録2130を更新。国民栄誉賞受賞。88年引退まで2215試合連続出場した。76年盗塁王、84年打点王、MVP。通算2677試合、2543安打、504本塁打、1448打点、打率2割7分。96年野球殿堂入り。現役時代は175センチ、73キロ。右投げ右打ち。

情報源:連続試合出場の世界記録/衣笠祥雄氏メモ(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース

情報源:連続試合出場の世界記録/衣笠祥雄氏メモ – プロ野球 : 日刊スポーツ


お悔やみ申し上げます。