名人戦は「玉将」ふたつ? 桂馬の由来はシナモンだった:朝日新聞デジタル

ふむ・・・


名人戦第1局で使われた奥野一香(おくの・いっきょう)作「宗歩好(そうほごのみ)島黄揚(しまつげ)赤柾(あかまさ)盛上駒(もりあげごま)」の玉将の1枚。駒の底に作者を示す「奥野作」と書かれた文字の一部は、長年の使用で消えていた
名人戦第1局で使われた奥野一香(おくの・いっきょう)作「宗歩好(そうほごのみ)島黄揚(しまつげ)赤柾(あかまさ)盛上駒(もりあげごま)」の玉将の1枚。駒の底に作者を示す「奥野作」と書かれた文字の一部は、長年の使用で消えていた

佐藤天彦名人に羽生善治竜王が挑む第76期将棋名人戦七番勝負。第1局2日目が12日、東京都文京区のホテル椿山荘東京で始まりました。本局から観戦している将棋素人の記者が、盤上をじっと見つめていると……。あれ? どっちも「玉将」だ。将棋の「王」は、「玉将」と「王将」のはずでは……?

日本将棋連盟によると、第1局で使われている駒は「宗歩好(そうほごのみ)島黄揚(しまつげ)赤柾(あかまさ)盛上駒(もりあげごま)」という駒で、昭和を代表する駒師のひとり、奥野一香(おくの・いっきょう)の作品です。

名人戦第1局で使われた奥野一香(おくの・いっきょう)作「宗歩好(そうほごのみ)島黄楊(しまつげ)赤柾(あかまさ)盛上駒(もりあげごま)」の玉将の一枚。駒の底に書体を示す「宗歩好」と書かれた文字の一部は、長年の使用で消えていた
名人戦第1局で使われた奥野一香(おくの・いっきょう)作「宗歩好(そうほごのみ)島黄楊(しまつげ)赤柾(あかまさ)盛上駒(もりあげごま)」の玉将の一枚。駒の底に書体を示す「宗歩好」と書かれた文字の一部は、長年の使用で消えていた

戦後、将棋人気が高まる中、ある愛棋家から「いい駒があるから使ってほしい」と将棋連盟が寄贈を受けました。1946年の第7期名人戦から、恒例として第1局のみで使われ、他の対局では使われることがないことから「名人駒」と呼ばれています。2枚とも「玉将」と刻まれる駒を、「双玉(そうぎょく)仕立て」といい、奥野一香作の特長とされているそうです。あめ色に輝く駒の色合いは、歴戦で使い込まれた風合いを醸しています。

「もともと将棋が遊ばれるようになった平安時代の駒は、双玉仕立てでした」と、日本将棋連盟手合課の松本将史さんは話します。いまのような「玉将」と「王将」のセットが一般的になったのは、室町時代後期の戦国期とされていて、「時代背景から王をとるという意味があるのかもしれませんが、はっきりとはわかりません」と松本さん。一方、2枚とも「王将」の「双王仕立て」という駒は、「見たことがない。少なくとも連盟にはない」そうです。

玉将が2枚置かれた名人戦第1局の盤上。2日目の昼食休憩時に撮影=12日午後0時45分ごろ、東京都文京区の椿山荘、佐々木洋輔撮影
玉将が2枚置かれた名人戦第1局の盤上。2日目の昼食休憩時に撮影=12日午後0時45分ごろ、東京都文京区の椿山荘、佐々木洋輔撮影

そもそも「玉」「金」「銀」「桂」「香」といった、駒の文字の由来は、平安時代に貴重だった品々である宝石、金、銀、香料に由来するそうです。ん?「桂馬」は?

「『桂』は『肉桂(にっき)』が由来と言われています。『肉桂』とはシナモンのこと。平安時代は貴重な香料だったと考えられます」。松本さんは将棋連盟の先輩に聞いた話として教えてくれました。

名人戦第1局2日目、対局前に盤上に駒を準備する佐藤天彦名人=12日午前8時40分ごろ、東京都文京区の椿山荘、佐々木洋輔撮影
名人戦第1局2日目、対局前に盤上に駒を準備する佐藤天彦名人=12日午前8時40分ごろ、東京都文京区の椿山荘、佐々木洋輔撮影

疑問に思ったことをもう一つ。

1日目の対局後、盤上の将棋駒を、1枚1枚手にとって駒箱に収めていたのは佐藤名人でした。普通、片付けは格下である挑戦者がやるのでは?

この質問に松本さんは「対局前は上位者が先に駒を並べ、対局後は上位者が駒を収める。これは昔からどの対局でも同様です。なぜ? と言われても。考えたこともなかった」と苦笑。

名人戦第1局の1日目終了後、盤上から最後に「歩」を駒箱に収める佐藤天彦名人=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影
名人戦第1局の1日目終了後、盤上から最後に「歩」を駒箱に収める佐藤天彦名人=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影

ちなみに、駒は「玉将」「飛車」「角行」「金将」「銀将」「桂馬」「香車」「歩兵」の順に、確認するように駒箱に収められます。この順番に意味はあるのですか、と問うと「紛失したらわかるように」とのことでした。(佐々木洋輔)

名人戦第1局の1日目終了後、盤上の駒を収めようと駒箱を開ける佐藤天彦名人=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影
名人戦第1局の1日目終了後、盤上の駒を収めようと駒箱を開ける佐藤天彦名人=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影
名人戦第1局の1日目終了後、盤上の駒を収める佐藤天彦名人(左)=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影
名人戦第1局の1日目終了後、盤上の駒を収める佐藤天彦名人(左)=11日午後6時30分すぎ、東京都文京区の椿山荘、高津祐典撮影

情報源:名人戦は「玉将」ふたつ? 桂馬の由来はシナモンだった(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース

情報源:名人戦は「玉将」ふたつ? 桂馬の由来はシナモンだった:朝日新聞デジタル



へぇ・・・