大リーグ:二刀流・大谷に、よみがえる神様ベーブ・ルース – 毎日新聞

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レンジャーズ戦のベンチでヤングと言葉を交わすエンゼルス・大谷=共同
レンジャーズ戦のベンチでヤングと言葉を交わすエンゼルス・大谷=共同

強打者ベーブ・ルース 元々は投手として名をはせた二刀流

米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平が投打の両方で活躍することで、1世紀前のベーブ・ルースの記録が連日、日米で取り上げられている。歴代3位の通算714本塁打を放った強打者だが、もともとは投手として名をはせた二刀流で、大谷も「神様みたいな人」と敬意を払う米球界の巨星だ。どんな記録を残したのか。【岸本悠/運動部、大村健一/統合デジタル取材センター】

1世紀のときを超えつながる2人

大谷が七回途中まで一人の走者も許さずに7回無失点、12奪三振で2勝目を挙げた9日(日本時間)。大リーグの公式サイトもトップ記事で大谷の活躍を伝えた。そこでも「同一シーズンで3試合連続本塁打を放ち、1試合2桁奪三振を達成したのは、1916年のベーブ・ルースと73年のケン・ブレット以来3人目」と紹介された。

大谷は4日(同)にメジャー1号を放った。勝利投手になって2日以内に打者で出場した試合で初回に本塁打を打ったのも21年のルース以来。開幕戦に先発出場した野手が開幕10試合以内に先発登板したのも、19年のルース以来だった。大谷の二刀流で、1世紀のときを経て「野球の神様」がよみがえってきた。

2年連続20勝で大黒柱に

もともと不良少年で、野球を通じて全米から愛されるスターになっていくルースは、日本でも数多くの伝記が出版された。「病床の少年に本塁打を約束して実現した」などのエピソードが広く知られ、強打者のイメージが強いが、当初は投手として評価された。

レッドソックス時代の16、17年、当時20代前半のルースは2年連続で300イニング以上投げて20勝以上を挙げ、投手陣の大黒柱として活躍した。カーブを投げるときに舌を出す癖があり打ち込まれた、というエピソードも残っている。16~18年に打ち立てたワールドシリーズでの29回3分の2の連続無失点記録は、生涯で200勝以上をあげ殿堂入りした名投手ホワイティ・フォードに61年に破られるまで、長く記録として残り続けた。

18年から野手として頻繁に出場するようになった背景には、第一次世界大戦がある。選手が相次いで招集されたため、シーズンも短縮され、選手不足に陥るチームも多かった。その状況下で徴兵を免れたルースは野手として出場する機会が増え、これが強打者としての歩みの始まりだった。

この年に記録した「同一選手の二桁本塁打・二桁勝利」は、現在に至るまで大リーグで誰も達成していない。ところが、日本球界では大谷が2014年と16年に成し遂げた。

ルースは日本で二刀流を披露?

ルースは1920年にヤンキースへ移籍して以降は登板機会がほとんどなくなり、野手に専念。同年に大リーグトップの54本塁打を放ったが、2位は19本塁打で、ルースがいかにずぬけた打撃力を持っていたかが分かる。

日本でもなじみ深い。34年11~12月に開催された日米野球で、米国代表チームの一員として来日。当時39歳と現役生活の最晩年で打撃成績は下り坂だったが、人気は抜群だったようで、毎日新聞の前身の東京日日新聞の紙面を連日飾っている。

11月4日の神宮球場での第1戦の記事では、試合前の打撃練習でルースが「ものすごい本塁打を続けざまに2本たたきつけた」後、「キングコングみたいに球場を所狭しとのそのそ歩き回って、いろいろ係員に注文を発していたが、しまいにはプレートに立って打撃投手を始めた」とある。当時の日本人もルースのピッチングを目にしたようだ。

大谷きっかけに米で二刀流増加?

ルース以降、二刀流に挑戦する選手が減った。大リーグ評論家の福島良一さん(61)は「米国の場合、大学までは投打の二刀流やアメリカンフットボールなど他競技と掛け持ちする選手は多い。しかし、プロ入りの際にはベーブ・ルースが活躍した初期を除き、どちらかに絞ることがほとんどだ」と話す。「試合数が多く、移動時間も長い世界最高峰の舞台で、両立は至難の業という考えが浸透しています」

だが、日本での大谷の活躍は以前から米国でも取り上げられ、近年は風向きが少しずつ変わりつつある。アマチュア時代に二刀流をこなした選手が、プロ入り後もマイナーリーグで続けるケースがあるという。「大谷に続きたいという選手の希望を、球団側が受け入れる傾向が強まるかもしれない。現時点での大谷の活躍はすばらしいが、シーズン通じて活躍できるかが二刀流増加のカギになる」と福島さんはみる。

米紙記者「100年に1度の挑戦」

ロサンゼルス・タイムズ紙で野球を担当するディラン・ヘルナンデス記者は「100年に1度しかないような伝説的なことに取り組む大谷に、みんなが注目し、応援している」とファンの思いを代弁し、「(二刀流の)練習量は確かに多い。それができるのは日本人しかいないのではないか」と勤勉さに期待を寄せる。

1960年代に日本選手初の大リーガーとしてジャイアンツで5勝を挙げ、日本球界でも活躍した野球評論家の村上雅則さん(73)は「死球で腕を負傷する可能性もあり、で当初は二刀流を心配したが、投打で全米を沸かせている。ベンチで試合を見ているときもチームメートと一緒に喜んだり、悔しがったりする姿勢はすばらしく、環境に適応できている」と大谷をたたえた。

村上さんは投手だったが65年に日本人の大リーグ初安打を記録した。「私がメジャーにいたころにもよく打つ投手はいたが、当時は指名打者(DH)の制度もなく、登板した試合での話。大谷の登板する試合では、今はDHが打席に立つが、今後はDHを使わず大谷に打たせる選択肢を首脳陣が考えるかもしれない」と期待を寄せている。

ベーブ・ルースについて、大谷は「神様のような存在で、少しずつでも近づきたい」と言う。日本ハム時代から「投打いずれかに専念すべきだ」と批判を浴びてきたが、結果を出すことで周囲をねじ伏せ、「二刀流はもう自分だけのものではない」と語る。そんな大谷を、野球の神様は天国から目を細め見守っているに違いない。

情報源:大リーグ:二刀流・大谷に、よみがえる神様ベーブ・ルース – 毎日新聞


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