星野仙一さん死去 プロ野球 楽天などで監督

星野仙一さん死去 プロ野球 楽天などで監督

70歳、すい臓がんか・・・


楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。昨年12月末にすい臓がんの病状が悪化した。70歳だった。球団は突然の発表となった理由を明かした。

球団は「故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます」と突然の発表となったことを謝罪。「人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください」と理由を明かした。

また星野氏の強い意思で、葬儀は密葬にて執り行われる予定。後日にお別れの会が催されるという。

情報源:星野仙一氏死去 急な発表は本人の意思「強気を貫いたスタイルを最後まで全う」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏死去 急な発表は本人の意思「強気を貫いたスタイルを最後まで全う」― スポニチ Sponichi Annex 野球


楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。昨年12月末にすい臓がんの病状が悪化した。70歳だった。球団によると最期は安らかな表情で家族に看取られ、息を引き取る寸前も野球への情熱を絶やさなかったという。

球団はこの日、4日午前5時25分に星野氏が死去したことを報告。「故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます」とし、「人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください」と急な発表になったことに理解を求めた。

また最期は安らかな表情で家族に看取られたといい、「息を引き取る直前まで『コーチ会議に出られるかな』と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした」と追悼した。

故人の強い意思により、葬儀は密葬にて執り行われる予定で、後日お別れの会が催される。

情報源:星野仙一氏、旅立つ直前に「コーチ会議に出られるかな」 最期まで野球に情熱 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏、旅立つ直前に「コーチ会議に出られるかな」 最期まで野球に情熱― スポニチ Sponichi Annex 野球


星野仙一氏死去

【星野仙一という男】闘将と呼ばれるが、情にもろい。勝負に徹しきれない。星野仙一という人はそんな一面があった。中日、阪神監督時代に計3度のリーグ優勝も日本一にはなれず「短期決戦に弱い」というレッテルを貼られた。08年の北京五輪でも金メダルどころか、4位でメダルすら逃し、バッシングを受けた。

どんなに不調でもレギュラーを使い続ける選手起用。短期決戦で勝てない理由と思っていた。怖かったが、ストレートにぶつけたことがある。「負け惜しみかもしれんが、シーズンで頑張った選手のおかげで日本シリーズに出られるんだぞ。だから、勝てなくても後悔してない。それが俺の野球、情の野球。勝つことよりも、それを大事にしたいんだ」。その答えで納得できた。

マスコミに対しても優しさを感じた。監督時代に「お茶会」と呼ばれる集まりを日夜開いてくれた。野球の話だけでなく、政治、経済、芸能界まで多岐にわたり、株の動きにも詳しかった。愛読紙は日本経済新聞。ホットコーヒーを飲み、タバコをくゆらせながらトークを展開し、スポーツ紙の記者には「スポーツだけじゃダメだぞ。政治や経済も勉強せなあかんぞ」とよく言っていた。マスコミへの懐柔策というやからもいたが、これほど記者に付き合ってくれる指揮官はいなかった。

「巨人とは縁がないんだよ」。そう漏らしたひと言が忘れられない。05年だった。巨人から監督就任の話が舞い込んだ。ドラフトで指名されなかった憧れの球団。しかし、当時は阪神のシニアディレクターを務めており、今さら立ち位置を変えるわけにもいかない。実現することはなかった。「打倒・巨人」。星野仙一には、そのキャッチフレーズがよく似合っている。 (野球デスク・飯塚 荒太)

情報源:星野仙一氏、勝利より大切にした“情” 不調でも大一番レギュラー起用 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

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楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。70歳、死因はすい臓がんだった。

現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。

14年にユニホームを脱いだ後も、15年に楽天の球団副会長に就任。ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していた。17年に野球殿堂入りしている。

以下、楽天が発表したリリース全文。

報道関係各位

いつもご取材いただきまして、ありがとうございます。

株式会社楽天野球団は、星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。

2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。

その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしておりましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られました。

最期は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました。

故人の強い意思に従い、葬儀は密葬にて執り行われます。

故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。

人前では常に強気を貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください。

息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。

故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます。

尚、後日にお別れの会を予定しております。

詳細が決まりましたら改めてご連絡させていただきます。

誠に勝手ではございますが、供物、供花、弔電などはご遠慮させていただきますこと、ならびに、本件に関わる問合せ先は、株式会社楽天野球団としていただけますようあわせてお願い申し上げます。

情報源:星野仙一氏死去 死因はすい臓がん 楽天が発表「最期は昼寝でもしているような安らかな表情」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏死去 死因はすい臓がん 楽天が発表「最期は昼寝でもしているような安らかな表情」― スポニチ Sponichi Annex 野球


【悼む――本紙・宮内編集主幹】夏場にさしかかったころだった。肌荒れが目立ち、痩せ始めていた。人一倍、身だしなみに気を使っていたのにスーツが身体に合っていない。見て見ぬふりをしていたが、異変をじかに知る時がきた。

10月26日、グランドプリンスホテル新高輪で行われたドラフト会議。開始直前、楽天の控室から会場まで並んで歩いた。「結局のところ、1位は誰で行くのですか?」。小声で訊ねると「清宮でいくよ。迷ったけどな」。この時、星野さんの左肩が何度も私に当たった。一度や二度ではない。足元がおぼつかないことは明らかだった。「大丈夫ですか?」と顔をのぞき込むと「大丈夫だ。君は自分の体の心配をしていればいい」とかわされた。

最後に言葉をかわしたのは昨年暮れ、12月24日のことだった。

「メリークリスマス?俺は仏教徒だからなぁ(笑い)。最近は元気じゃないよ。大阪のパーティー(12月1日、殿堂入りパーティー)が終わってからグダーっときてな。仕事をいっぱい入れたし、その反動かな。このままじゃ死んじゃうんじゃないかと。年明けも講演の仕事が入っているんだが、最近は1時間話すとゼーゼーだ。前はこんなことなかったんだけどな。立っているのがつらいんだ。座ってもいいんだけど、それじゃあ、みっともないし、迫力がないだろ。身ぶり手ぶり、アドリブでやるのが俺のやり方。人生もそうだけどな」

田淵幸一さんのこと、山本浩二さんのこと…。仲間の近況をあれこれ語った後、こう締めくくった。

「キャンプは梨田に任せておけばいいし、チームが困った時に頭を下げるのが俺の仕事。もっとも俺が頭を下げるのは長嶋さんと王さんしかいない。あの2人以外に頭を下げることはないよ。今日は家族全員が集まっているんだ。やっぱりメリークリスマス?まあ、そういうことだなぁ(笑い)。良いお年を」

あれからわずか11日。松の内が明けないうちに年頭のあいさつを、と考えていた矢先の訃報に言葉もない。どうか間違いであってほしい。 (編集主幹・宮内 正英)

情報源:闘将・星野仙一 最後まで貫き通した美学「ON以外に頭は下げない」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏死去 ドラフト会場で感じた“異変” 足元おぼつかず何度も…― スポニチ Sponichi Annex 野球


楽天の星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことが分かった。70歳だった。死因は不明。現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任したプロ野球の顔の突然の訃報にネットでは悲しみの声が広がった。

17年に野球殿堂入りした「闘将」の死に、ネットでは早朝から「本当に信じられない…。70歳は若すぎる」「まだまだ日本の野球界を引っ張って欲しかった」「突然だし早すぎる。ショック…。ご冥福をお祈りします」など追悼の声が相次いだ。

監督として中日、阪神、楽天の3球団を優勝に導き、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。「3球団で優勝は誰も文句をつけられない偉業」「珍プレー好プレーでの怒鳴る姿が好きだった」「誰よりも中日というチームに貢献した人物」「タイガースを変えてくれた監督。星野さんがいなかったら今のタイガースはない」「震災後に楽天監督になって日本一…。一生忘れられない。ありがとう」などプロ野球ファンからは感謝の声も。

現役時代を知るファンは「迫力のある投球、熱い闘志、吠える姿が目に焼き付いている」「監督時代はもちろんですが、やはり現役時の勇姿が忘れられない」「子どものころからずっとスター」と功績を称えていた。

情報源:星野仙一氏死去 ネットにも悲しみと感謝の声広がる「70歳は若すぎる」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏死去 ネットにも悲しみと感謝の声広がる「70歳は若すぎる」― スポニチ Sponichi Annex 野球


07年にリーグ優勝を決め胴上げされる阪神時代の星野監督
07年にリーグ優勝を決め胴上げされる阪神時代の星野監督

楽天の星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことが分かった。現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。

【3球団監督アラカルト】

☆中日時代(87〜91、96〜01年。88、99年優勝)

就任直後に4対1の大型トレードでロッテから落合を獲得。立浪、近藤、今中、山本昌、中村ら後に主力となる若手を鍛え上げ、就任前まで2年連続5位と低迷したチームを2年で優勝に導いた。第2次政権前年も5位だったが、4年目に優勝。

☆阪神時代(02、03年。03年優勝)

4年連続最下位だったチームを2年でリーグ優勝に導いた。初年度は片岡、2年目は金本、伊良部、下柳ら獲得した新戦力が活躍。日本シリーズ終了後「健康上の理由」で退任することを発表した。後にオーナー付シニアディレクターに就任。

☆楽天時代(11〜14年。13年優勝、日本一)

13年、楽天の監督として中日、阪神時代を含め4度目の日本シリーズ出場で初制覇した星野監督
13年、楽天の監督として中日、阪神時代を含め4度目の日本シリーズ出場で初制覇した星野監督

就任直後の3月に東日本大震災に見舞われる。2年連続Bクラスと苦戦するが、ジョーンズ、マギーの両外国人、メジャー帰りの斎藤らが加わった13年はエース・田中と新人・則本が大車輪の働きを見せ、さらに銀次、岡島、美馬ら若手も台頭し球団初の優勝と日本一を達成。14年は腰痛などの体調不良により5月下旬から休養。7月下旬に復帰したが、最下位に終わり、この年限りで辞任した。

現役時代、闘争心むき出しピッチングでファンを魅了した星野氏
現役時代、闘争心むき出しピッチングでファンを魅了した星野氏

情報源:星野仙一氏死去 中日、阪神、楽天3球団を優勝に導いた「闘将」 (スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏死去 中日、阪神、楽天3球団を優勝に導いた「闘将」― スポニチ Sponichi Annex 野球


プロ野球中日のエースとして「燃える男」、監督就任後は「闘将」と呼ばれ、2013年に楽天を率いて球団創設9年目で初の日本一に導いた星野仙一氏が4日午前5時25分に死去した。70歳。岡山県出身。楽天によると膵臓がんで闘病していたという。近親者で密葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。

岡山・倉敷商高から明治大を経て、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団。82年まで中日一筋でプレーした。「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。74年には沢村賞に輝いた。

情報源:星野仙一氏が死去、70歳/野球/デイリースポーツ online


パ・リーグ優勝を決め、胴上げされる楽天・星野仙一監督=西武ドーム(2013年9月26日
パ・リーグ優勝を決め、胴上げされる楽天・星野仙一監督=西武ドーム(2013年9月26日

楽天は6日、中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)癌のため亡くなったことを発表した。70歳。故人の強い意思により、葬儀は密葬で行われ、後日お別れ会を行う。

球団によると、2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに、膵臓癌であることが判明。その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしていたが、昨年12月末より病状が悪化し、最期は昼寝でもしているような安らかな表情で家族にみとられて旅立ったという。また、息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っていたという。

18年ぶりのリーグ優勝を決め、歓喜のナインに胴上げされる阪神・星野監督=甲子園球場
18年ぶりのリーグ優勝を決め、歓喜のナインに胴上げされる阪神・星野監督=甲子園球場

故人の意思により公表がこの日となり、球団は「人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最後まで全うしようとしたこと、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生をささげた星野副会長でした」と記した。

星野球団副会長は岡山県出身。選手として中日のエースに君臨し、通算146勝を挙げ、監督としては3球団で通算4度のリーグ優勝に導き、楽天時代の2013年には日本一に輝いた。08年北京五輪では日本代表の監督も務めた。

情報源:星野仙一氏 膵臓癌で死去 息を引き取る直前まで意欲「コーチ会議に出られるかな」 (デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏 膵臓癌で死去 息を引き取る直前まで意欲「コーチ会議に出られるかな」/野球/デイリースポーツ online


殿堂入りパーティーで阪神・金本知憲監督と談笑する星野仙一氏=大阪市内のホテル(2017年12月1日)
殿堂入りパーティーで阪神・金本知憲監督と談笑する星野仙一氏=大阪市内のホテル(2017年12月1日)

中日、阪神、楽天で監督を務めた楽天の星野仙一球団副会長が6日、4日に亡くなっていたことが明らかになった。70歳。岡山県出身。選手としては中日のエースとして通算146勝を挙げ、監督としては3球団で通算4度のリーグ優勝に導き、楽天時代の2013年には日本一に輝いた。08年北京五輪では日本代表の監督も務めた。

「燃える男」がこの世を去った。現役時代は闘志あふれる投球で中日のエースに君臨。ドラフト指名されなかった巨人に対抗心を燃やし、通算35勝を挙げ巨人キラーとしても活躍した。現役を引退後は中日の監督として2度のリーグ優勝に導いた。

01年オフに中日監督を退任すると、ライバル球団でもある阪神の監督に就任。「勝ちたいんや!!」をキャッチフレーズにチームを改革し、就任2年目の03年に18年ぶりのリーグ優勝に導いた。体調面がすぐれず、この年限りで監督を辞すもオーナー付シニアディレクターとしてチームを支えた。

08年北京五輪で日本代表監督を務め、11年から楽天の監督に就任。13年に球団創設初優勝、日本一に導いた。翌年限りでユニホームを脱ぎ、球団副会長としてチーム編成に携わっていた。

昨年1月には野球殿堂入りし、同11月28日に東京、12月1日に大阪で祝う会が行われ、多くの人が祝福にかけつけ、笑顔を見せていた。

◆星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大を経て1968年度ドラフト1位で中日入り。右投げ右打ち。通算146勝121敗34セーブ。引退後は中日、阪神、楽天で監督を務め、リーグ優勝4度(日本シリーズ優勝1度)。監督通算成績は1181勝1043敗53分け。

情報源:“燃える男”星野仙一氏死去、70歳 (デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

情報源:“燃える男”星野仙一氏死去、70歳/野球/デイリースポーツ online


プロ野球東北楽天の元監督で、2013年にチームを初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が4日、病気のため死去した。70歳だった。中日のエースとして活躍。引退後は中日、阪神、東北楽天の3球団で監督を務め、17年に野球殿堂入りした。

岡山県生まれ。倉敷商高、明大を経て1969年、ドラフト1位で中日に入団。闘志むき出しの投球で「燃える男」と呼ばれた。74年には中日の20年ぶりのリーグ優勝に貢献。巨人の10連覇を阻み、沢村賞と最多セーブに輝いた。通算146勝121敗34セーブ。82年に現役を引退した。

監督としては「闘将」と呼ばれ、中日、阪神でリーグ優勝を果たした後、10年10月に東北楽天の監督に就任した。1年目の開幕前に東日本大震災が発生。「強さを被災者に届けよう」とナインを鼓舞し、13年に田中将大投手(現ヤンキース)らを擁し、球団創設9年目で初優勝を果たした。巨人との日本シリーズも制し選手、監督を通じ初の日本一に輝いた。14年に監督を退任。15年9月から球団副会長を務めていた。

3球団で監督を計17年務め、リーグ優勝4回。通算成績は1181勝1043敗53分け。戦後生まれで初の1000勝監督となった。

情報源:星野仙一氏死去70歳 東北楽天を日本一に 闘将、被災地に夢 | 河北新報オンラインニュース


プロ野球・中日の投手として活躍し、引退後は中日、阪神、楽天と日本代表の監督を務めた星野仙一さんが死去した。70歳だった。

岡山県倉敷市出身。倉敷商高から明治大に進み、1969年にドラフト1位で中日入団。74年に球団20年ぶりのリーグ優勝に貢献。巨人の10連覇を阻止し、最多セーブのタイトルと沢村賞を獲得した。82年限りで現役を引退。通算成績は146勝121敗34セーブ。

引退後は解説者を経て、86年オフに中日監督に就任。87~91年と96~2001年の計11シーズンにわたって指揮し、88、99年にリーグ優勝。阪神監督に転じて2季目の03年には、同球団18年ぶりのリーグ制覇に導いた。健康不安を理由に同シーズン限りで勇退後、08年北京五輪日本代表監督を務めたが4位に終わり、メダル獲得はならなかった。

楽天監督に就任1年目の11年は、開幕直前の3月11日に東日本大震災が発生。本拠地の仙台市も甚大な被害を受けたが、野球を通じた復興支援を目指すチームの先頭に立った。13年にエース・田中将大投手(現大リーグ・ヤンキース)の活躍で、球団創設9年目で初のリーグ制覇。現役時代からライバル視し続けた巨人との日本シリーズも制し、被災地に歓喜をもたらした。14年限りで退任。監督としては3球団、延べ17年で通算1181勝1043敗53分け。

監督を退いた後は楽天球団の副会長を務めていた。17年には野球殿堂入りも果たした。

情報源:<訃報>星野仙一さん70歳=プロ野球、日本代表監督 (毎日新聞) – Yahoo!ニュース

情報源:訃報:星野仙一さん70歳=プロ野球、日本代表監督 – 毎日新聞


プロ野球中日のエースとして「燃える男」、監督就任後は「闘将」と呼ばれ、2013年に楽天を率いて球団創設9年目で初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が死去したことが6日、球界関係者の話で分かった。70歳。岡山県出身。

岡山・倉敷商高から明治大を経て、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団。82年まで中日一筋でプレーした。気迫を前面に出す投球から「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。74年には沢村賞に輝いた。

引退後は87年に中日の監督に就き、翌年にリーグ優勝。96年には中日で2度目の監督に就任し、99年にも優勝を果たした。2002年から阪神を率いて03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズで敗退。その直後に健康上の理由で退任した。11年からは楽天の監督に就任し、13年にチームを初の日本一に導いた。

08年の北京五輪では野球の日本代表監督を務めた。準決勝で韓国に、3位決定戦でも米国に敗れてメダルを逃した。17年にエキスパート表彰で野球殿堂入りした。

情報源:星野仙一さん死去、70歳 「燃える男」「闘将」楽天で日本一達成 – 野球 – SANSPO.COM(サンスポ)


楽天球団副会長で中日、阪神、楽天で監督、北京五輪では日本代表監督を務めた星野仙一氏が4日、病気のため亡くなった。70歳だった。

球界関係者によると、周囲には伏せていたが、がんで闘病中だったという。年末に体調を崩し、帰らぬ人となった。

現役時代は「燃える男」との異名がついた気迫のピッチングで通算146勝をマーク。「闘将」と呼ばれた指揮官としては、率いた3球団すべてを優勝に導き、楽天では日本一に輝いた。

昨年1月には野球殿堂入りを果たし、1か月前には元気な姿を見せていたばかり。日本球界の発展に多大な功績を残した“巨星”の訃報に、球界は大きな衝撃が走った。

情報源:星野仙一氏が死去 がん闘病「燃える男」70歳 (東スポWeb) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一氏が死去 がん闘病「燃える男」70歳


プロ野球中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の3球団と日本代表の監督を務めた星野仙一(ほしの・せんいち)さんが4日午前5時25分、死去した。70歳だった。楽天球団によると、膵臓(すいぞう)がんを患い、昨年末から病状が悪化していた。葬儀は密葬で行われ、後日お別れの会を予定している。

岡山県生まれ。倉敷商高、明大を経て1969年、ドラフト1位で中日に入団。闘志むき出しの投球で「燃える男」と呼ばれた。巨人戦では長嶋茂雄、王貞治らと名勝負を繰り広げて35勝(31敗)を挙げ「巨人キラー」の異名を取った。74年には先発、救援にフル回転して中日の20年ぶりリーグ優勝に貢献。巨人の10連覇を阻み、沢村賞と最多セーブに輝いた。通算146勝121敗34セーブ、防御率3.60の成績を残し82年に現役を引退した。

86年オフ、中日の監督に就任すると、抑えの牛島和彦投手ら4人を放出し、ロッテから三冠王3度の落合博満内野手を獲得するトレードを敢行。中日では87~91年、96~2001年と2期11年指揮を執り、88、99年にリーグ優勝を果たした。

中日を退団したばかりの01年オフ、野村克也監督の後任として阪神へ。金本知憲外野手を獲得するなど、積極的な補強を進め、就任2年目の03年、チーム18年ぶりの優勝をもたらした。ダイエーとの日本シリーズには3勝4敗で敗れ退任。日本代表監督として指揮を執った08年北京五輪はメダルなしの4位だった。

楽天監督1年目の開幕前、11年3月11日に東日本大震災が発生し、球団が本拠を置く宮城県が甚大な被害を受けた。「強さを被災者に届けよう」とナインを鼓舞し、3年目の13年は24勝無敗の田中将大投手らを擁して初優勝に導いた。巨人との日本シリーズも制し選手、監督を通じて初の日本一に輝いた。

3球団で監督を計17年務め、通算成績は1181勝1043敗53分け。戦後生まれでは初の1000勝監督となった。14年限りで監督を退き、楽天の球団副会長を務めていた。17年に野球殿堂入りした。

情報源:星野仙一さん死去=「燃える男」、70歳―プロ野球 (時事通信) – Yahoo!ニュース

情報源:星野仙一さん死去=「燃える男」、70歳-プロ野球:時事ドットコム


プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務めチームをリーグ優勝や日本一に導いた、星野仙一さんが4日、亡くなりました。70歳でした。

星野さんは岡山県出身の70歳。明治大学から昭和44年にドラフト1位で中日に入団しました。現役時代は、闘志あふれるピッチングスタイルから「燃える男」と呼ばれ、中日のエースとして14年間で通算146勝をあげ沢村賞も受賞しました。

現役引退後は、NHKのスポーツキャスターを務め、さわやかな笑顔とわかりやすい解説で人気を集めました。その後、昭和62年には中日の監督に就任して大胆な戦力の入れ替えなどでチームを改革し、2回のリーグ優勝を果たしました。

そして、平成14年には低迷が続いていた阪神の再建を託されました。ここで星野さんは「勝ちたいんや!!」をキャッチフレーズにチームを改革し、就任2年目に阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導きました。

阪神の監督を退いたあとは金メダルを目標に掲げ、北京オリンピックの日本代表の監督も務めました。その後、東日本大震災が起きる直前、63歳の時に楽天の監督に就任しました。被災地の球団としてチームを鼓舞し、就任3年目の平成25年には楽天を初のリーグ優勝と自身にとっても初めてとなる日本一に導き震災からの復興に向かう東北のファンを大いに元気づけました。

平成26年のシーズン終了後に成績の不振と健康上の理由から球団に迷惑をかけたとして監督を退きましたが、その後は球団の副会長に就任して梨田昌孝監督を招へいしたほか、ドラフト会議の方針決定や戦力の補強などチームの編成に携わっていました。そして野球界の発展に大きな功績を残したとして去年、野球殿堂入りしました。

名古屋 別れ惜しむ声

プロ野球中日の地元・名古屋市では突然の別れを惜しむ声が聞かれました。

中日ファンだという45歳の男性は「とにかく熱い人で、リーグ優勝の時も熱心に応援しました。優勝の感動をありがとうございましたと伝えたいです」と話していました。

また、23歳の男性は「怖いというか、鬼監督というイメージがありましたが野球界のために尽くしていただいた方なので本当に残念です」と話していました。

巨人ファンだという男性は「現役時代はライバルという感じでした。野球界を盛り上げてくれてありがとうございましたと声をかけたいです」と話していました。

大阪でも

大阪・梅田のJR大阪駅前ではプロ野球阪神の監督も務めた星野仙一さんが亡くなったことを惜しむ声が相次ぎました。

50代の男性は「闘将という印象で、5本の指に入る名監督だったと思います。日本の野球のレベルをもっと上げてくれる方だと思っていたので、非常に残念です」と話していました。

20代の男性は「野球はあまり見ていなかったけれど、星野さんはテレビでよく見ていました。やさしい方だと思っていました。とても残念です」と話していました。

また、阪神の監督時代に試合を見に行っていたという70代の女性は、「とても驚きました。ズバっと言いたいことを言ってこちらも気持ちがスカッとするすごい力を持っている監督でした。お元気でいてほしかったですね」と残念そうに話していました。

仙台でも

星野さんが亡くなったことについてプロ野球楽天の地元・仙台市でも突然の別れを惜しむ声が聞かれました。

仙台市の20代の男子大学生は「亡くなったと聞いてびっくりしています。優勝したときは被災地に勇気を与えてくれたと思うし野球のすばらしさを教えてくれたと思います」と話していました。

また仙台市の30代の女性は「最近まで元気そうだったので亡くなったと聞いて信じられません。野球は詳しくありませんが被災地に寄り添ってくれた方だと思います」と話していました。

東京でも驚きと悲しみの声

東京・渋谷では、プロ野球ファンの人たちから悲しみや驚きの声が聞かれました。

45歳の会社員の男性は「元気なイメージしかないので、突然のことでびっくりしている。熱血的な指導で楽天を日本一にした印象が強い。ファンから見ても指導は厳しいけど、愛情があり、人をひきつける監督だった」と話していました。

18歳の男子大学生は「楽天の監督時代、日本シリーズで田中将大投手を最後に抑えで起用してすごいと思った。野球殿堂にも入っている名将で、本当に亡くなってしまって悲しいです」と話していました。

31歳の会社員の男性は「つい最近までテレビにも出ていたので、びっくりしました。70歳で亡くなるのは早すぎるし、さみしいです」と話していました。

22歳の男子大学生は「阪神の監督時代の印象が強く、よく怒っていて暴れん坊というイメージがあります」と話していました。

情報源:星野仙一さん死去 プロ野球 楽天などで監督 | NHKニュース


お悔やみ申し上げます。