【広島OB小早川毅彦】毎試合「最後になってもいい」右肘不安も投げ続けた黒田 (1/2ページ) – 野球 – SANSPO.COM(サンスポ)

ふむ・・・

黒田の今年の投球を見る限り、来年も十分に現役でやれると思う。それでも引退を決めたのは、よほど肉体的につらくなり、精神力だけでは補えなくなったのではないだろうか。

2008年に米大リーグ、ドジャースへ移籍する前の2年間、私は広島の打撃コーチとして、ともに戦った。渡米前は3年連続で2桁勝利を挙げていたが、右肘の状態が万全でないことはチーム内では周知の事実。それなのに、ド軍では中4日のローテーションを守って投げ続けた。渡米した際に「体が強くなったのか?」と尋ねると「毎試合、最後の試合になってもいいと思っています」との答えが返ってきた。

右肘の不安を抱えながら、よく10年間も投げ続けたものだ。いつでもユニホームを脱ぐ覚悟をしながら、カープのため、ファンのため、お世話になった人たちのために頑張ったのだろうと思う。

日本シリーズ前の引退表明といえば、広島が5度目のリーグ優勝を果たした30年前のことを思い出す。私がプロ3年目の1986年、“ミスター赤ヘル”山本浩二さんがユニホームを脱いだ。

レギュラーシーズンは126試合で打率・272、27本塁打、78打点。西武との日本シリーズでも、全8試合で4番を打った。3勝3敗1分けで迎えた第8戦に敗れ、“花道”を作れなかったのは残念だが、西武の胴上げの後、グラウンドで浩二さんを胴上げした。

今年の広島にも、「日本一を引退の花道に」という新たな目標が加わった。黒田自身も、この時期の表明が、チームにとって決してマイナスにはならないと思ったのだろう。 (サンケイスポーツ専属評論家)

日本一で花道を。