キューバのカストロ前国家評議会議長が死去 – 90歳

大往生だな。


Cuba's former President Fidel Castro Havana, Cuba, September 22, 2016, in this handout photo provided by Cubadebate. Alex Castro/Cubadebate/Handout via Reuters/Files
Cuba’s former President Fidel Castro Havana, Cuba, September 22, 2016, in this handout photo provided by Cubadebate. Alex Castro/Cubadebate/Handout via Reuters/Files

Fidel Castro, the Cuban revolutionary leader who built a communist state on the doorstep of the United States and for five decades defied U.S. efforts to topple him, has died, Cuban television said on Saturday. He was 90.

(Reporting by Marc Frank; Editing by Simon Cameron-Moore)

情報源: Fidel Castro dead – Cuban TV | Reuters


AFP/GETTY IMAGES
AFP/GETTY IMAGES

Fidel Castro, Cuba’s former president and leader of the Communist revolution, has died aged 90, state TV has announced.

It provided no further details.

Fidel Castro ruled Cuba as a one-party state for almost half a century before handing over the powers to his brother Raul in 2008.

His supporters praised him as a man who had given Cuba back to the people. But his opponents accused him of brutally suppressing opposition.

In April, Fidel Castro gave a rare speech on the final day of the country’s Communist Party congress.

He acknowledged his advanced age but said Cuban communist concepts were still valid and the Cuban people “will be victorious”.

情報源:Cuba’s Fidel Castro, former president, dies aged 90 – BBC News


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キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長=4月19日、ハバナ(AFP=時事)

【サンパウロ時事】1959年にキューバ革命を成し遂げ、反米勢力の精神的支柱として国内外に強い影響力を与えたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去した。90歳だった。

実弟のラウル・カストロ議長が国営テレビを通じて「キューバ革命の最高司令官が今夜(25日夜)午後10時29分、死去した」と発表した。死因は不明。遺体はフィデル氏の生前の意向で火葬される。26日に葬儀委員会が開かれ、詳細が公表される見通し。

半世紀近く国を統治したフィデル氏が2008年に議長を退いた後、キューバはラウル氏を中心とした集団指導体制に移行しており、フィデル氏の死去が政権に与える影響は限定的とみられる。

ただ、ラウル氏は既に18年の引退を表明している。米国と国交を回復した政権が世代交代を急ぐ中、カリスマ的指導者の死は、変化の時代を迎えた国民の動揺につながる可能性もある。(2016/11/26-18:02)

情報源:カストロ前議長が死去=キューバ:時事ドットコム


キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(2016年4月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/ACN/OMARA GARCIA MEDEROS
キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(2016年4月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/ACN/OMARA GARCIA MEDEROS

【11月26日 AFP】(更新)20世紀後半において世界を代表する指導者の一人で極めて大きな影響力を持っていたキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長が25日夜、同国の首都ハバナ(Havana)で死去した。90歳。

弟のラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長が、日付が変わった直後に国営テレビで「キューバ革命の最高司令官が(25日)午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)に死去したと述べ、前議長の意思に従って遺体は現地時間26日に火葬されると明らかにした。

政界から決して退かないと話していたフィデル・カストロ氏だが、2006年7月に腸の緊急手術を受け、権力を弟のラウル・カストロ氏に移譲した。

ラウル氏はカストロ前議長が取っていた米政府への敵対的な方針を転換し、2014年12月にバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領との間で米国との国交正常化交渉を始めると発表して世界を驚かせた。

しわだらけのオリーブ色の服、ほつれたあごひげ、健康上の理由で諦めざるを得なかった葉巻で有名だったカストロ前議長は、国内の反体制派には厳しい締め付けを続けた一方、国外に向けては自身を米政府への反抗者として位置づけた。

国交が正常化した際にオバマ大統領は、キューバで民主主義と欧米流の経済改革を育てるために、キューバの体制を倒そうとして数十年に及んだ米国の対キューバ制裁は失敗したと認め、キューバ国民を支援する別の方法を試す時が来たと述べた。

キューバ国民が困窮生活を続けて、かつて自身が率いた革命が輝きを失ったとしても、カストロ前議長は最終的に「政治的なにらみ合い」のゲームで勝利を収めた。(c)AFP

情報源:キューバのカストロ前国家評議会議長が死去 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News


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1950年代にキューバ革命を起こし、反米の社会主義政権を半世紀にわたって率いたキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去しました。90歳でした。

キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は、日本時間の26日午後、国営テレビで国民に対し、「キューバ革命の最高司令官が午後10時29分に死去した」と述べ、兄のフィデル・カストロ前議長が現地時間の25日夜、死去したことを明らかにしました。

また、本人の希望で火葬されるとしたうえで、葬儀の詳細について26日に発表すると述べました。

カストロ前議長は1959年にキューバ革命を起こして親米政権を倒し、以後、最高指導者として反米の社会主義政権を率いてきました。

米ソ冷戦の中、当時のソビエトと関係を深め、1962年にはソビエト製のミサイルのキューバへの配備をめぐって、米ソの核戦争への緊張が一気に高まった、いわゆる「キューバ危機」が起きました。

カストロ前議長は2006年に体調を崩し、2008年には議長を退任して実の弟のラウル・カストロ氏に政権を移譲しましたが、その後も、一定の影響力を保ってきました。

キューバは、去年7月に半世紀以上にわたって敵対してきたアメリカと国交を回復し、カストロ前議長は国交回復に向けた交渉を始めた、ラウル・カストロ議長の判断は適切だとして支持する考えを明らかにしていました。

また、1995年と2003年には日本を訪問しているほか、ことし9月には日本の総理大臣として初めてキューバを訪問した安倍総理大臣と会談し、北朝鮮の核開発問題などについて意見を交わしました。

カストロ前議長の死去を受けて市民の間には衝撃が広がっていて、強いカリスマ性で国をまとめる求心力となってきたカストロ前議長の死が、キューバや国際社会にどのような影響を及ぼすのかが注目されます。

国営テレビの発表は

キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は国営テレビで、「きょう、11月25日午後10時29分に、キューバ革命の最高司令官、フィデル・カストロが亡くなりました」と述べて、カストロ前国家評議会議長が死去したことを明らかにしました。そのうえで、「本人の希望により火葬される。あすの11月26日の朝に、キューバ革命の創始者に対して行われる葬儀の詳細を発表します」と述べました。

そして、最後にキューバ革命のスローガンである「常に勝利を目指して」と述べて、前議長の死を悼みました。

カストロ氏のこれまで

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強いカリスマ性で人々を引きつけたカストロ氏は、当時のキューバの親米政権、バチスタ政権の打倒を目指して、1953年に革命運動に身を投じました。その後、左翼活動家のチェ・ゲバラ氏とともにゲリラ活動を展開して、1959年に「キューバ革命」に成功しました。

首都ハバナへ凱旋(がいせん)した際には、国民から熱狂的な歓迎を受けました。この時、カストロ氏は「われわれはアメリカの目と鼻の先で社会主義革命を達成した。われわれはみずからの銃でこの社会主義革命を守るのだ」と述べました。

革命後は中南米初の社会主義国として、外資系企業の国有化などを進めました。米ソ冷戦のさなかには、当時のソビエトと急速に関係を深め、「軍事的な備えが必要なため基地の強化に踏み切った」などとして、キューバ国内にソビエトの核ミサイル基地を建設することを容認しました。

これに対してアメリカは海上封鎖などで対抗し、「キューバ危機」が起きました。世界は一時、核戦争の瀬戸際にまで追い込まれましたが、ソビエトがミサイルを撤去したことで危機は回避されました。

カストロ氏は反米姿勢を強め、その後、社会主義革命を中南米やアフリカに広げる政策を進めていきます。

一方で、最大の貿易相手国だったソビエトの崩壊後は経済危機に陥り、国民は苦しい生活を強いられました。
80歳を超えたカストロ氏は、2008年に国家評議会議長を退任して、実の弟のラウル・カストロ氏に政権を譲りました。

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そして2011年には、政府や党の公職をすべて退き、政界の第一線から身をひいていました。また、1995年と2003年には日本を訪問しているほか、ことし9月には日本の総理大臣として初めてキューバを訪問した安倍総理大臣と会談し、北朝鮮の核開発問題などについて意見を交わしたばかりでした。

情報源:キューバ フィデル・カストロ前国家評議会議長が死去 | NHKニュース


安倍晋三首相(手前)と会談するフィデル・カストロ前国家評議会議長=キューバ・ハバナで2016年9月22日、Alex Castro氏提供
安倍晋三首相(手前)と会談するフィデル・カストロ前国家評議会議長=キューバ・ハバナで2016年9月22日、Alex Castro氏提供

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)、死去した。90歳だった。弟のラウル・カストロ現議長が国営テレビで伝えた。2008年2月に議長職を辞任して以降も、指導部と国民に影響力を与え続けた「革命の英雄」の死去は、国民に深い喪失感を与えそうだ。

ラウル議長は25日深夜、国営テレビで「キューバのいとしい国民よ。深い悲しみとともに、革命の総司令官フィデル・カストロが死んだと伝える」などと語った。本人の遺志で遺体は火葬にするという。

カストロ氏は、バチスタ独裁政権を武力で打倒した1959年1月のキューバ革命で権力を握った。

当初は米国との関係の正常化も模索したが、米系資産の接収などを受けて米国が61年に国交を断絶すると、社会主義路線を宣言。旧ソ連や社会主義諸国との関係を強めた。62年には、米国に向けたソ連製核ミサイル配備を受け入れたことで「キューバ危機」が起き、全面核戦争の寸前まで行った。

米国の足元で成功した武力革命は、60年代の左翼運動に大きな影響を与えた。カストロ政権もプロレタリア国際主義に基づき、アンゴラなど第三世界での革命運動を積極的に支援した。

しかし、経済の後ろ盾だったソ連が91年に崩壊したことで経済が危機的な状況を迎えると、社会主義体制を守りながらも市場経済の原理を部分的に取り入れ、観光開発にも力を入れて経済の立て直しを図った。

06年7月に腸内出血で緊急手術を受け、議長職の権限を一時的にラウル・カストロ氏に譲った。その後も健康は回復せず、08年2月に議長を辞任した。

キューバは昨年7月、ラウル議長のもとで、54年ぶりに米国と国交回復した。(ロサンゼルス=平山亜理)

情報源:フィデル・カストロ氏死去 キューバ前国家評議会議長:朝日新聞デジタル


安倍晋三首相(手前)と会談するフィデル・カストロ前国家評議会議長=キューバ・ハバナで2016年9月22日、Alex Castro氏提供
安倍晋三首相(手前)と会談するフィデル・カストロ前国家評議会議長=キューバ・ハバナで2016年9月22日、Alex Castro氏提供

社会主義国キューバの革命指導者、フィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去した。90歳だった。弟のラウル・カストロ国家評議会議長が国営テレビで明らかにした。2006年7月末に腸の手術を受け、08年に約30年務めた国家評議会議長を引退。11年4月には最後の公職だった共産党第1書記の座も退いた。弟のラウル・カストロ国家評議会議長が体制を固めており、カストロ氏死去で大きな混乱はないとみられる。

東部オルギン県のサトウキビ農園で生まれ、酷使される季節労働者を見て育ち、ハバナ大を卒業して弁護士になった。1953年7月26日、米国の強い影響下にあったバティスタ独裁政権打倒を目指し、キューバ東部で武装蜂起したが失敗、投獄された。55年に特赦で釈放され、メキシコに亡命。革命運動組織「7月26日運動」を結成し、56年12月、チェ・ゲバラらとともにヨット「グランマ号」でキューバ島東部に上陸しゲリラ戦を展開した。59年1月、革命政権を樹立。米系企業と富裕層が占有していた農地や工場を国有化した。

社会主義国の国家元首として渡り合った米大統領は、第34代アイゼンハワー氏から第44代のオバマ氏まで11人。世界を核戦争の瀬戸際に追い込んだ62年10月の「キューバ危機」では、当時のケネディ米大統領、フルシチョフ・ソ連首相とともに現代史に残る事件の主役を演じた。

97年、ペルー日本大使公邸占拠事件で、日本とペルー両国の要請で占拠犯の左翼ゲリラ、トゥパク・アマル(MRTA)の受け入れを表明、対日関係が緊密になった。カストロ氏は非公式に2度訪日。95年は当時の村山富市首相と会談。03年には広島を訪れ原爆死没者慰霊碑に献花した。

カストロ氏は06年7月の手術後、最高指導者の権限をラウル氏に暫定委譲。08年2月、自身の死去による混乱を避けるため引退し、ラウル氏が議長に就任した。10年夏には健康を回復したが、実権は弟に譲ったままで、11年4月共産党中央委員会で、第1書記の座も退いて一党員に戻っていた。

情報源:訃報:キューバのカストロ前議長が死去 90歳 – 毎日新聞


90歳か。


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